『無明の果て』
「あっ、その時計つけてくれているんですね。」


涼は私の手をとり、誕生日にくれたその時計を、じっと見ていた。


何か言おうとしているのに、言葉にはならないもどかしさで、涼は私の手をただ強く握るだけだった。



「もう行かなきゃ。」

静かに離した左手は、涼の涙が染み込んでいる。


「麗子さん、綺麗ですよ。

元気で。」



うなづいただけで、私は涼に背中を向けた。

ゲートをくぐる時、涼は大声で


「麗子、がんばれぇー」


と、手を振りながら叫んでいた。



まわりの目も気にせず送られたエールは、心を揺さぶり、心をえぐる。


泣いて、泣いて、前が見えないほど泣けて、動けなくなった。



時を越えて、国境を越えて、もうひとつの生き方を極める旅立ちのシーンは、思いもかけないものになった。


渡された手紙の書き出しは、


「市川麗子様…」


涼はまだ知らされてはいないのだ。


そして一行は、涼ががんばれと叫んでいたその姿を、空港に駆け込んできたその時に見る事になった。



私は それを しばらく後に知るのである。
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