『無明の果て』
私は機上の人となり、拭っても拭っても溢れ出す涙を、下を向いてただ耐えることしか出来ずに、こんなにも切ない旅立ちになってしまった少し前の出来事を思い返そうとしてみるけれど、まだその時を迎えられそうにはない。



隣の席に座る紳士が、そんな私の姿を通路から見えないように、さりげなく雑誌で隠してくれているように感じるのは、思い過ごしだろうか。



こんな場所のこんな女達を、もう見慣れているのかもしれない。


空港という、国境を越えるドラマチックな場所で、激しく泣いている女がいても、珍しい眺めではないのだろう。



もう地上には戻れないよと、大きな翼が私の視界を遮っている。



「コーヒーでよろしいですか?」


紳士は、テーブルにそっとコーヒーを置いてくれた。


「有難うございます。
すみません。」


震える声は、消え入りそうに小さい。



何も言わず微笑んだだけで、その紳士は雑誌にまた目を戻した。


暖かいコーヒーは、流した涙の数を補給するように身体の隅々に染み入り、少しずつだけれど、落ち着きを運んで来るように思えた。


「有難うございました。
もう大丈夫です。」



「泣けるのは若い証拠ですよ。」


そう言って雑誌を閉じ、その人は目をつぶった。



自ら背負った運命を嘆かず、耐えて行ける限界を知るのはまだまだ先の事と、窓の外の大空は一言も語りかけてはくれない。



あの時、


「麗子さん」


涼の声に振り返らずに、私は旅立つわけにはいかなかった。



「一行はどうしたんですか?」


「飛行機が遅れて…」

そう言いかけただけなのに、涼…


涼が泣くのはおかしいよ。


私は泣かずにここまで歩いて来たのに。


「ただ見送るつもりだったんです。

だけど、ひとりで行くなら、俺に少し時間をください。

一行がいないんなら。」



無我の愛を、受け入れられる事はないと知りながら、美しい涙が伝うその頬に、私は左手で一度だけそっと触れた。
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