初恋の君の名は
古からの縁

 ヒタヒタと人が歩く足音が聞こえて来る。
ここは京の都から随分遠く離れた村の1本道。不気味な程に静かな場所から、ウェ〜ン ウェ〜ンと言う声がする。

「なんだ?赤子の声がするぞ…まさか…そんな事はない筈だ」

誰も通らない道ばたで、赤子が泣いているような声が聞こえて来る。
この辺りは、10年程前に戦で村が焼かれた場所だった筈。
最後の村人もすでに京の街外れに引っ越しをすませてから、3年経った。
こんな所に赤子などいるわけがない。
男が早足でその場から通り過ぎようとすると、赤子の泣き声は男の背を追いかけてくる。
赤子の泣き声が消えたかと思うと、男は来た道を振り返った。
背中にずっしりと感じる嫌な重さ。

「まさか…」

人と言う物は、恐ろしい物ほど見たがるらしく、この男も同じだった。
ガタガタと震えながらも首を少しずつ動かすと、背中に感じる物をじっと見ている。
男の背中には、子供の形をした岩が乗っていた。
その岩がニィーと笑っている。

「ひ…ひぇぇぇぇぇ!!」

男は腰を抜かすと後ずさりしていった。
叢原火(そうげんび)と呼ばれる鬼火がチロチロと当たりに漂っていた。
火の中には、苦しそうに顔を歪める僧侶がいる。

「ば、化け物〜!!」

男が這うようにして逃げて行った後には、可愛らしい男の子が立っておった。

「何処行きなさる?」

「街に行くんじゃ」

「何処行きなさる?」

「京に行くんじゃ」

「何処行きなさる?」

「だから…!!」

男は怒ったように童の方を向いた。
童の頭には人間には決してない、オニの角が光っておった。

「ば、化け物〜!!」

男は叫ぶと脱兎の如く逃げて行った。

《けっけけけけけけ…楽しいな…やはり人間を脅かすのは面白い》

「おい…子泣き爺。お前何やってんだ?」

甲高い男の声に、子泣き爺はビクッと体を縮ませるとゆっくりと声がする方を向いた。

《何じゃ…九尾か…》

「おい爺。私がこの恰好の時は、そう呼ぶなと言っておるだろうが!」

岩だった爺が人間の大人と同じ大きさになると、ニタニタと人の良さそうな笑みを浮かべている。例えそのような笑みを顔に貼付けていても、赤い眼は笑ってなどいない。
壷装束姿に身を包んだ女が、むしの垂れ衣付きの市女笠を外すと闇夜に儚げに照らし続ける月夜の如く妖しくも美しい女が立っている。
艶やかに長い黒髪を背に流し、色鮮やかにたおやかに歩くその様は松原に降り立ったと言われる天女のようであった。

「お前は何をしに京へ行くのだ?」

女は白小袖と緋色の袴を指差しながら、ウンザリしたような顔で爺を見る。

「爺には、分からんだろうがな野暮用だ」

「ほう…野暮用とな…」

そりゃ面白い。

「龍神からの使いでな、熊野に行かねばならぬ。男の恰好をするよりもこうやって旅装束の恰好をしていた方が、怪しまれずにすむからな」

《ほぉ〜。あの辺りは旨そうな人間がウヨウヨいるからのぉ〜》

「そう言う事だ」

後にこの九尾の白狐が、自分の命を狙って来る陰陽師達から逃げるために入り込んだ神聖なる社で落ち合うのは、彼女が生涯にたった一人だけの伴侶と認めた男と会う事になるのは、暫くたってからである。



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