恋するキミの、愛しい秘めごと
「ヒヨ、顔引き攣りすぎ」
生まれて初めてプレゼンターを務めるその日。
会場に向かう電車の中で、眼鏡をかけたカンちゃんが、からかうように人の顔を覗き込む。
「しょうがないでしょ……」
「お、宮野さんにタメ口か」
「だって」
また口をついて出たタメ口に、慌てて押し黙った。
そんな私を見て、カンちゃんはやっぱり楽しそうに笑って人の頭をポンポン叩く。
「大丈夫だよ。ヒヨが緊張で倒れても、最強の代打が控えてるから」
「……確かに最強だね」
「だろ?」
さっきからカンちゃんは、あれやこれやとよく分からない話題を振って来る。
さり気ない感じを出してはいるけれど、私の緊張を解こうとしてるのが丸わかりだ。
「でも練習してないから、本気で倒れるなよ?」
「わかって……ます」
「あ、南場さんに戻った」
会社では私達の関係がバレないようにハラハラする事ばかりだけれど、こういう時、カンちゃんが傍にいてくれて良かったと心底思う。
……なんて、甘え過ぎか。
「そういや、長谷川企画がトップバッターなんだって?」
いつの間にか車窓に向けられていた視線。
そのまま外を眺めながらそう口にしたカンちゃんは、あの日、私が朝早く家に帰った時もこうだった。
いつもと変わらない様子で、何故かビクビクしながらリビングのドアを開けた私に「朝メシ食う?」って。
それにコクリと頷くと、口に器用にパンを咥えたままキッチンに向かい、私の分のトーストと目玉焼きとコーヒーを運んで来てくれた。
何か言われるのも嫌だけど、言われないのもちょっと困る。
まぁ言い訳する事もないんだし、報告するのもおかしいし別にいいんだけど……。
でもなぁ。
何というか、暗に色々考えられているかもしれないと思うと少し気まずい。
けれどカンちゃんは悶々とする私とは対照的に、さっさと食事を済ませて立ち上がった。
「じゃー、先行くわ」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
何事もなかったかのようにリビングを出て行こうとするから、ホッとしたのに。
開けたドアの前で立ち止まり……。
「その首の、ちゃんと隠して来いよー」
ニヤリと笑ってドアを閉めた。
――“首”?
「……」
もしかして。
バタバタと洗面所に飛び込んで、鏡に顔を寄せて、
「ちょっとぉー、榊原さん……」
首筋――というか、耳の後ろあたりに付けられた紅いしるしに頭を抱えた。
コンシーラーで消えるかな?
意味がないと分かりながら、そこをゴシゴシとこすってみる。
よく見ると、鎖骨や胸元にも同じような痕が残っていて、溜息を漏らしながらも……昨夜の甘い痺れを思い出して、少しだけ頬が緩んでしまったんだ。
泊まった時点でバレバレなのだろうけれど、アレを見られたらもう確信レベルだろう。
しかも榊原さんが付けたキスマークはなかなか消えなくて、今日だってコンシーラーのお世話になっている。
「ライバルが恋人って、どんな気分?」
揺られる電車の中では、相変わらず何も気にしていない様子のカンちゃんが楽しそうに尋ねてくる。
「そんなの、自分でもわかる……わかりますよね?」
アナタの彼女だって、同じ会社とはいえ仕事を取り合っているライバルなんだから。
「まぁ、そうだけど。社外の方が戦う時に燃えそうじゃない?」
ドSのカンちゃんは、眼鏡の奥の目を細めて意味あり気に微笑んだ。
“もえる”って、“燃える”? それとも“萌える”?
どちらとも取れる言い回しに顔を顰めると、それを見たカンちゃんは「変な想像してんじゃねーぞ」と言って、丁度駅に着いた電車を降りて行った。