音に触れて
☆☆☆
 二十三歳というのはある意味転換点かもしれない、とベースを弾きながら桃花は思った。周囲は就職していき、音響の専門学校を卒業をした彼女は彷徨いながら過去を思い出す。
 高校では軽音部に所属し、そこの部長に彼女の全てを初めて晒した。大胆かつエキゾチックを心情にする桃花も、初体験のときは心臓が重低音の如く鳴り響いた。しかし、部長は一年先輩ということもあり、卒業と同時に別れることになった。清潔感溢れるミディアムヘアー、艶やかな肌、繊細な指、どれもが桃花の理想型だった。
 その記憶はベースを弾く度に思い出す。
「ペペロンチーノ、食べにいこうぜ」
 彼氏である晴彦の一言で思考はクリアになり、過去から現実に引き戻された。
 晴彦は売れないバンドマンであり、彼に関していえば容姿は整っているのだが、いかんせんお金がない。彼の口癖は、「絶対売れるから」、だ。大概、売れないのが音楽というシビアでドライな世界だ。
「ねえ、音楽だけじゃ食べていけないから、バイトとかしなよ」桃花は穏やかな口調で言った。
 が、「おい、桃花!なんで俺がバイトしなきゃいけないんだ。曲がヒットして一発当たれば、スターダムなんだよ。ふざけんな、ボケ!」男のプライドを刺激したツケは桃花の頬に平手というツケを払わされた。
 桃花は目に涙を浮かべ、玄関を飛び出す。晴彦が背後で何か言っているのが聞こえたが、空耳として処理した。男って夢ばっかみて、現実を見据えない。音楽業界は今は不況だ、と彼女は心の中で叫び、気づけば母校に足を向けていた。
 高校の校庭には柳の木がプール近くに植えられている。そこに見知った顔がいた。かつての恋人。
「先輩」彼女の叫びに先輩がこちらを振り向き、柔和な笑みをこぼした。
「桃ちゃん!」と先輩は言い、「あれ泣いているね」と繊細な人差し指で彼女の涙を拭った。
「先輩なにしてるんですか?」
「過去に浸ってる」と洒落たセリフを先輩は放つ
「音楽は続けてるんですか?」
「プレイヤーではなく、作曲側に回ったんだ」と先輩は桃花の眼前に顔を近づける。彼女の心臓は早鐘を打ち、平手打ちされたことなど脳内から掻き消えるほど甘いメロディーが全身に鳴り響く。
「音と音を繋げて、音楽になるんだ。人と人もね」
 先輩の艶やかな唇が桃花の涙混じりの唇に触れた。二人の唇が触れ合う音と柳が風に靡く音が、その場をセクシャルに包み込んだ。
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