闇夜に真紅の薔薇の咲く
深い霧をかきわけてその先に進もうと試みても、予想以上に濃いその霧は朔夜の思考の邪魔をする。

あまりのもどかしさに髪を振り乱して奇声をあげそうになるのを何とかこらえ、朔夜は顔をしかめた。

(鬱陶しい)

胸中にわだかまるもどかしさを吐きだすように荒々しく息をつきながら、朔夜はわしわしと乱暴に頭をかきむしる。

彼の正体は分からないが、彼といつどこであったのかは、大体予想がついている。

会ったことがないのに、確かにどこかで会ったことがある感覚。

思考の邪魔をする深すぎる霧。

記憶力は良い方な朔夜にとって、これだけ考えても思いだせないと言うことは今までになかった。

それから考えられるのはただ一つ。

――彼と会ったのは、恐らく自分ではなく闇の姫である。

どう言うわけかは分からないが、どうやら自分の記憶には前世の彼女の記憶も存在しているようだ。

鮮明に思い出すことは出来ないけれど。

深々とため息をつきながら、朔夜は窓際の青年を見やる。

あだ名からして、決して善い行いをしていないだろう自分の前世。

彼女を訪ねてやってくる人物など、もう決まってしまっている。

理解した瞬間に、ひやりとしたものが背筋を伝う。

ドクドクと明らかに早い鼓動を聞きながら、落ち着こうとゆっくりと息を吐いた。

(――闇の姫の覚醒を望む人か、魔界から私を殺しに来た人か……)

どちらにせよ、彼女にとっては敵だ。

じっと、朔夜は青年を凝視する。

もしも、彼が何か行動をおこした時、すぐに逃げられるように。

無理なことは百も承知だが、それでも少しぐらい時間が稼げるだろう。

全神経を彼に集中させ、息を潜める。

ダダ漏れの警戒心に気がついたのだろう。

青年はくすりと笑みを零すと、ゆっくりとこちらを振り返った。



「そんなに警戒しないでくださいよ。心配しなくても、何もしませんよ」

「……信じられると思う?」

「ふふ。そうですね。信じてくれ、とは言いません。何せ私は、“今のあなた”にとっては敵以外の何物でもありませんからね」





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