夢現
レンタルショップ
外がまだ明るい事に違和感を覚える。
ここ数カ月忙しい日が続いていたので、毎日毎日早く帰りたいと思ってはいたもののいざ早く帰れるとなると一体何をして良いのかも分からなくなる。
せめて仕事が早く終わった日には自炊をしようといつも思っていたが、今は「せっかく早く終わったのだから手軽に済ませて何か他の事をしよう」という気分になっている。
勝手なものだが。
近くのコンビニにより弁当とビールをひと缶買う。
自宅へ帰り、弁当に手もつけずにビールをあける。
一口飲んで溜息をつく。
TVのスイッチを入れ、チャンネルを回してみるがこれと思う番組が見つからずに結局けしてしまった。
部屋の中が無音になったかと言えば、そんなこともない。
車の音外を通る人の声、風。
音は途絶える事がない。
ビールをもう一口飲んでもう一度溜息をつく。
窓を見ると、外がうす暗くなってきている。
やっといつもの時間に追いついてきたらしい。
カーテンを閉めようと、窓の前に立った時に深い青の中にぽっかりと白い月が浮かんでいる事に気付いた。
ゆっくりと月を見上げるなんていつぶりだろうか。
何だか気持ちが緩やかになり、散歩をしてみる気分になった。
財布と携帯だけポケットに入れて、ふらふらと外に出た。

別段どこに行くという目的もないので、適当に歩いていく。
いつも周りを良く見ずになかったせいかごく近所にも関わらず、見おぼえないものがたくさんある。
ほとんどは店じまいを始めているけれど。
だんだん暗くなっていく店の並びにこうこうと明るい光が灯る店を見つけた。
近づいていくとビデオのレンタルショップらしい店だった。
店内は外の明るさに比べて言いようのない暗さがあった。
誘われるように店内に入っていく。
ずらりと棚に並ぶ四角い箱。
奥にカウンターがあり、一人の男の子が座っている。
学生だろうか?
まだ若い男の子で、僕が入ってきた事にも気付かずにずっと下を向いて何かをしている。
ドアにセットされた自動音声だけが「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。
棚に、何か違和感を覚えたが一瞬何が違うのか分からなかった。
暫く棚を見ていてやっと気付いた。
この店に置いてあるビデオには写真や絵といったものがなく、タイトルが全て人の名前だ。
よくある映画を宣伝するポスターも貼られていない。

「あ。すみません」
やっと男の子が僕に気付いたらしく、声をかけてきた。
「お客様、初めての方ですよね?」
聞かれて頷く。
「変わった店だね」
僕が感想を言うと男の子は笑いながら「他にはない店ですから」と答えた。
「今ならキャンペーン中なので入会金もかかりませんし、なんと一人目は無料ですよ」
妙な事を言うので言い間違いかと思った。
「一人目かい?」
僕が冗談めかして笑うと彼はまじめな顔をして説明を始めた。
こまごまと説明をしていたが、結局のところ選んだ他人の人生を期間中レンタルできるというものらしい。
信憑性に欠けるけれども、そういう事らしい。
「よろしければ、入会金も一人目も今なら無料で試す事ができますよ」
男の子は先ほどと同じようなセリフを言った。
信じたわけではないが、どうせ無料ならばちょっと試してみても良いかという気分になった。
「試して、気に入らなければそれ以降ご利用にならなければ良いだけの話ですよ」
男の子は僕の考えを読み取ったかのように付け加えた。

まだ信じられないままだったが、ひとまず試してみる事にした。
どうせ費用はかからないし、今日は時間をもてあましている。
それに、どんなサービスなのかも気になる。
男の子は目の前に用紙を出し、書き込む場所を説明する。
「こちらが入会申込の書類になります。会員規約に同意する書類になります」
僕は言われるままに署名していく。
「本日、印鑑と身分証明になるようなものはありますか?」
聞かれて印鑑はないが、免許証は持っていると伝えた。
「じゃあ、ここに拇印を押してください。免許証はコピーをとらせて頂きますね」
手際は悪くない。
指を拭いていると、誰か一人なりたい人物を選んでくるようにと言われた。
棚を物色しながらありきたりだが、金持ちを選ぶ。
「こちらですね」
男の子は、僕が手渡した箱の中から小さな手帳のようなものを取り出した。
開いてみるとパスポートのようなものだった。
顔写真までついている。
「レンタル中は、他の人からはその顔で見えていますんで注意してくださいね」
次のページからは、その人間がどんな人生を歩んできたかが年表のようにつづられていた。
「じゃあ、レンタル期間は明日までとなります。楽しんで来てください」
男の子は笑顔で僕を見送った。

店を出てから周りをきょろきょろする。
何も変わらない。
とりあえず現在の住所を見る。
まずは家に行ってみようと思い、タクシーに乗り込んだ。
ついた場所は高そうなマンションだった。
手帳を見ながら、オートロックのキーを開ける。
中に入った瞬間に年配の男性から「お帰りなさい」と声をかけられた。
見知らぬ男性だが、印象では恐らく管理人といったところだろう。
どういう仕掛けなのだろうか。
この男性もあの男の子とグルになって、客が入ってきたらそういう風に迎える事になっているのだろうか。
いや、そういった手回しをするにはあの棚には色々な選択肢がありすぎる。
考えていると目的の部屋についた。
玄関のドアを開けると「お帰りなさい」と女性が僕を出迎えた。
「インターホン、鳴らしてくれればいいのに」
彼女はそう言って笑った。
確か独身男性を選んだつもりだったけれど、この女性は誰だろう。
僕は彼女に曖昧に笑いかけてから、部屋の奥に入った。
あてずっぽうでリビングの手前のドアを開く。
ちょうどトイレだった。
中に入り座りながら、手帳を開き後ろの方のページを見る。
彼女は恋人で、合鍵を持っておりたまに部屋に来ているらしい。
更に見ていくと部屋の間取り図がついていた。
自分の部屋なのに、どこに何があるのか分からないようでは格好がつかないので助かった。
それにしてもこの女性も雇われているのだろうか。
ずいぶん金のかかる仕掛けではないだろうか。
これほどの事をキャンペーン中とはいえ、入会金無料で行ってはたして商売になるのだろうか。

疑問はたくさん浮かぶが、部屋は快適だし女性は話が合うので楽しい時間を過ごす事ができた。
深夜まで色々話をしたが寝る時間がきて、僕は用事があると言って部屋を出た。
さすがに今日会ったばかりの女性と一緒に眠る気にはならないので、自分の部屋に帰ろうと思った。
タクシーに乗り、自分の部屋まで来る。
たまたま隣の部屋の住人も同じタイミングで帰ってきた。
それほど親しくないとはいえ、顔を合わせればいつも挨拶をしていたのに挨拶をした僕を不思議そうな顔で見た。
少し違和感を覚えながら自分の部屋に行き、ポケットに手を入れる。
鍵がない。
他のポケットを探っても見つからない。
もしかしたらあのレンタルショップに忘れてきてしまったのかもしれない。
ちょうどいい。
もう楽しんだので、手帳を返却してしまおうと思った。

先ほどの店に戻ってきたのは良いが、店はもう閉まっていた。
深夜なのだから、当然と言えば当然だが。
さて、ちょっとした気まぐれで試したものの明日も仕事があるというのに自分の部屋にも帰れなくなってしまった。
仕方がないので、今夜は近くのビジネスホテルにでも泊るか。
朝早い時間からあの店が開いてくれているといいが。
ビジネスホテルで一晩過ごした後、あの店に向かった。
店はまだ閉まっていた。
しかたがない。
自分の会社に連絡を入れようと、ポケットを探るが携帯がない。
困ったところに、公衆電話を見つけた。
電話をかけ、名乗ってから体調が優れないので休みたいと告げると、よく知る女性が僕はもう出社していると返事をした。
違和感はあるものの、もしかしたらふざけているのかもしれないと思って電話を切った。

街中をふらふらしながら時間を潰す。
いい時間になったので、もう一度店に行った。
昨夜と変わらず、男の子がカウンターの奥に座っている。

『こんにちは』
僕が話しかけると、彼はにっこり笑って『楽しまれましたか』と聞いてきた。
『いや、何だか不安でダメだったよ』
僕は苦笑いしながら答えた。
正直、自分がいなくなってしまったような気がして不安だったんだ。
『慣れると、だんだん癖になりますよ』
男の子はまた笑った。
『いや、当面遠慮したいね』
男の子はパソコンに何かを打ち込み始めた。
そして『あ…』と、小さな声を漏らした。
『どうしたんだい?』
僕が聞くと、彼は決まり悪そうに言った。
『あなたが返却されていませんね』
『僕が返却されていない?』
自分に戻れると思って安心したところだったので、尚更不安になった。
『あなたが他の人になっている間、あなたは他の人にレンタルされているんですよ』
男の子は、パソコンの画面を追いかけながら、こちらも見ずに言った。
僕がレンタルされている?
『何で勝手にそんな事を…』
僕が怒りを感じると、男の子は平然と言った。
『規約に書いてあったじゃないですか』
規約…。
『昨夜、同意するサインもしていますよ』
規約…そんな大切な事が書いてあったのか?
普段から、規約なんてほとんど読まない。
いつも感覚で、気軽にサインしてしまった。
普通の店ではないのに、なんて迂闊な事をしてしまったのだろう。
今になって悔やんでも仕方がないけれど…。
『あ。でも安心して下さい。返却されるまで、あなたは今のあなたでいて頂いて結構ですから』
それは、安心材料なのだろうか。
『僕が彼でいる間、彼はどうなる?』
男の子は笑った。
『待って頂くだけですよ』

僕は、とんでもない店に関わってしまったのではないだろうか。
自分の事を取り立てて気に入っていた訳ではない。
でも、今は自分に戻りたくて仕方がない。
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