主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
晴明邸に戻った息吹は取り憑かれたように腹巻を縫っていた。

陽が暮れて手元が暗くなってもそれに気付いた様子はなく、縁側でずっと手元に集中している息吹の肩を叩いた晴明は、ようやく我に返った息吹に笑いかけて隣に腰を下ろす。


「どうしたんだい?やけに集中しているね」


「あ…なんだか夢中になっちゃった。父様…」


作りかけの腹巻を脇に置いた息吹は、肩を叩きながら庭に目を遣ってふぅと小さく息をついた。


「私…赤ちゃんが欲しくて仕方なかったんだけど、今はどうなのかな…。わからなくなってきちゃった」


「では…離縁をするということなのかな?」


「…それはあんまり考えてなくて…。主さまのお話もちゃんと聞かなきゃって思ってるんです。それに…あの…今日…」


言いよどんだ息吹の顔がみるみる赤くなり、晴明が続きを待っていると、息吹はもう噛み痕が消えてしまった左手の人差し指を見せた。


「久しぶりに主さまに触られて嬉しかったんです。…私…やっぱり主さまが好き。ずっと好きな人だったんです。なのに…」


「…十六夜が不貞を働いたか否か程度のことは今私がそなたに教えてやれる。…聞くかい?」


こくんと頷いた息吹の肩を抱いた晴明は、肩にもたれかかってきた息吹をあやすようにゆっくり揺らしてやりながら口角を上げた。



「不貞は働いていない。そなたがありながらあ奴が不貞を働くとは私には思えなかった。どうだい、少しは安心したかい?」


あからさまにほっとした息吹が大きく頷いた。

少しでも不安を払しょくすることができて、少しだけいつもの息吹に戻ってくれたことを喜んだ晴明は、息吹の膝に作りかけの腹巻を乗せて腰を上げる。


「私とて孫は欲しい。十六夜にそっくりなのは困るが」


「父様…ありがとう。私…もう少し主さまのお屋敷に通ってみます」


小さく手を振って仕事部屋に引き上げていった晴明を見送った息吹は、再び針を手に取って膝に視線を落とした。

…主さまは自分を裏切ってはいなかった。

けれどあの光景の理由だけはちゃんと教えてもらわなければ。


「私から話しかけた方がいいのかな。それとも主さまが話しかけてくれるのを待った方がいいのかな」


考えた結果、自分から話しかけるのは癪なので、待つことにした。
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