ボレロ - 第一楽章 -


珠貴の恋人だったのだろう。

かつて彼女に繰り返し求愛し、それは挨拶代わりなどではない真剣な思い

だっただろうことは、彼の態度でわかるというものだ。

それくらいの察しはついたが、あの場に留まるほど私は人格者ではなかった。

タクシーに乗り込むと、珠貴はさきほどの店の思い出を語り始めた。

友人とよく通った店で、いつも常連客が決まった席に座ったことだとか、

女将さんの人柄で客が絶えないだとか、私にお構いなしにしゃべり続けている。



「宗のことを大事な人だと紹介したら、女将さん、とっても喜んでくれたのよ」


「うん……」


「あら、それだけ?」



あの男は……と言いかけてやめた。

私のプライドがみずからの問いをやめさせたのだった。

あんな男のことなどで、私たちの関係がどうなるわけでもない。 

そう自分に言い聞かせた。



ホテルのエレベーターに乗り合わせた男性が、珠貴に笑みとウィンクを

送ってきた。

まったくこの国の男はどうかしている。

珠貴の手を引寄せ、目的の階に着くと足早にエレベーターを降り、部屋へと

急ぎ足を進めた。

私の不機嫌さに珠貴はもう何も言わなくなっていた。


ドアを開け、先に部屋に入った珠貴が大きくため息をついた。

食事が途中になってしまったことを詫び、不快な思いをさせたと申し訳なさ

そうな顔をした。

そんなことはない、気にしなくていいと言うべきなのだろうが、私の口は

不機嫌に結ばれたまま開こうとしない。

穏やかに抱きしめ彼女を労わるべきなのだろうが、つまらない嫉妬に駆られ、

高ぶる感情を抑えきれずにいた。


ドリンクを用意してくれた珠貴の手からコップを奪い取りテーブルに置くと、

体を乱暴に引寄せた。

挑むように口づけた私に、珠貴も応じてくる。

壁に彼女の体を押し当て、唇を合わせたまま服をたくし上げ下着に手をかけた。

荒い息遣いと衣擦れの音が部屋に響く。 

露わになった胸が私の手で形を変え、乳房を口に含むと遠慮がちな声が

放たれた。

腰のホックをはずすと、柔らかな素材で作られた生地は滑るように腰から落ち、

それを合図に私の手は彼女の腰へと滑り込んでいった。


言葉を紡ぐこともなく、感情だけで互いの欲求を受け入れ、快楽へと持ち

込もうとしていた。

今夜の私には珠貴を思いやる余裕はなく、感情の赴くままに彼女に向かって

いった。

珠貴もまた、私の激しさに負けまいとしているのか、彼女自身も高みへと

昇ろうと必死なのか、私の手を導きさらなる刺激を求めようとしている。 

背中に回された手が肌に食い込む強いほど感覚を覚えたのか、声にならない

声が喉からもれてきた。

珠貴の頂点を捉えた私は、抱えた足を持ち上げると体を押し当て彼女と

つながった。

ベッドで行われるそれと異なり、すべてがいつもと違うという刺激も加わり、

揺れた体の奥で共鳴し、快楽をともにした。




< 157 / 160 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop