ボレロ - 第一楽章 -


今日も蒔絵さんは残って仕事をしていた。

他のことなら手助けもできるが、デザインを専門とする彼女の仕事を

私が加勢することはなく、彼女を残して帰ろうとしたとき携帯が着信を告げた。



『まだ仕事?』


『あら、珍しい時間に電話ね。今帰るところ。

宗一郎さん、今日は仙台でしょう』


『それが予定変更で夜の会合がキャンセルになったんだ。

珠貴、今夜空いてないかな』


『これから東京に帰ってらっしゃるのね。食事でもいかがかしら』


『じゃぁ、決まりだな。シャンタンの羽田さんから電話をもらったんだ。

今夜の予約客のキャンセルがあったそうだ。

急なことだがどうだろうってね。

空きがあったら連絡してくれと頼んでおいたんだが、いいタイミングだった』 


『わぁ、ぜひ。久しぶりですもの、季節のメニューも変わったでしょう。

今月のデザートも気になっていたの』



そこまで答えて、ふと思いついた。

すぐ羽田さんに返事をするよと言う宗一郎さんに、待ってくださいと告げた。



『シャンタンのお席だけど、平岡さんと蒔絵さんにどうかしら。 

お二人、ずいぶん会ってないみたいなの。私たちは他でも……』


『それはいい。たまには平岡に恩をきせておくのも悪くないね』


『まぁ、宗一郎さんったら。では、彼女にはサプライズでお連れするわ』



楽しい思いつきに自分でもワクワクした。

デザイン画を前に苦悩顔の蒔絵さんを説得し、たまには気分転換も必要よと

強引にオフィスから連れ出した。


行き先も告げずタクシーに乗せられた蒔絵さんが、しきりに 

「どこに行くんですか」 と聞いてきたが

「素敵なところよ」 とだけ返事をし、宗一郎さんとの待ち合わせ場所に

向かった。

彼の電話の最後の言葉は、私にも期待を持たせてくれていた。


『俺たちの食事だけど、任せてもらえないか。

君を連れて行きたいところがあるんだ』


そう言って、宗一郎さんは電話を切った。

いったい彼はどこに案内してくれるのだろう。

宗一郎さんに会える嬉しさとミステリーのような展開に、

私は胸を躍らせていた。





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