ボレロ - 第一楽章 -


「まぁ、びっくりした。どこにいらしたの?」


「君らの後ろの椅子に座ってた。俺の前を素通りしていったよ。つれないね」



私の言い方が可笑しかったのか、ふっと笑った顔は、いつもの彼女の顔に

なっていた。



「ごめんなさいね。 お待たせしました」


「食事の前に行きたいところがあるんだが、付き合ってくれるかな」


「それはいいけれど、どこに?」


「展望デッキ」



意外な顔をした珠貴の手を引いて、私は屋上へと歩き出した。



世界中の航空会社のマークを背負った飛行機が、離発着をくり返していた。

展望デッキには遠足の小学生がおり、飛び立つたびに歓声が上がり子供達の

顔が興奮に包まれている。

それに負けないほどの感嘆の声をあげているのが、滑走路を食い入るように

見つめている珠貴だった。



「ここにきたの初めてよ」


「ウソだろう」


「本当よ。父は、女の子は飛行機なんて喜ばないだろうと思っていたみたい」


「子どもの頃、一度は来る場所だと思っていた。そうか初めてか……」


「ウソだろうって、同じことを言われたことがあるわ」 


「へぇ、言ったのは男?」


「大学の先輩。空港の展望デッキに行ったことがないと言ったら、

ウソだろうって。今度、連れて行くよと言われたけれど」


「初めてということは、一緒には来なかったのか」



笑うだけで返事はなかった。

その男が学生時代の珠貴の恋人だったのか、たんなる先輩だったのか

わからないが、懐かしそうに話すところをみると、彼女の中では過去の事柄に

なっているのだろう。



「ここは無条件に楽しめるところだよ。少しは気が晴れたんじゃないか」


「展望デッキにつれてきてくれたわけ、そうじゃないかと思ってた。

とてもいい気分転換になったわ」


「なら良かった……ご両親と素っ気無い会話をするんだ」



両親とはいつもあんな感じ、私には厳しいの、と珠貴は寂しそうな諦めた

ような顔をした。



「叔父がいた頃はそうでもなかったのよ。

父の一番下の弟で、父と母親が違うの。わかるでしょう?」


「あぁ……」



父親の末弟は妾腹の子だということだった。

一緒に暮らしたことがあり、一人っ子の珠貴を可愛がってくれたのだという。



「両親が厳しかった分を叔父が甘やかしてくれたの。

でも、交際していた女性と辛い別れをして、傷心のまま外国に行ってしまって」


「君は、また一人か」



何かを思い出したのか、滑走路をじっと眺めたまま飛行機の発着にも目を

向けなくなった。

さっきまでいた小学生の集団はいつのまにか消え、飛行機の轟音だけが

聞こえていた。



「飛行機をいっぱい見たらお腹がすいちゃった。行きましょうか」


「待って」



歩きかけた珠貴を引き寄せ、腕の中に閉じ込めるように抱きしめた。

抱かれたまま私の胸に顔を埋め、身じろぎもしない。



「ありがとう」

 

しばらくして、腕の中から少し掠れた声が聞こえてきた。



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