ボレロ - 第一楽章 -


視察も順調にすみ、相手方の手応えも良好だったことで、新たな契約に

持ち込まれるのは時間の問題だった。

とはいえ、気の張る相手であることには違いなく、彼らの姿が出発ゲート奥に

消えると、同行した重役とともに、どちらともなく安堵のため息が出ていた。


珠貴との待ち合わせ時刻まで一時間ほどあったが、出発ゲート中央の椅子に

腰掛け、彼女の家族が現れるのを待つことにした。

妹の短期留学先に両親も同行し、その後、プライベート旅行で一週間ほど

日本を留守にするので、その見送りだということだった。

社長である珠貴の父親と面識はないが、経済界のパーティーで姿を見かけた

ことはある。

起業した初代の意思を堅実に継ぎ、手堅く事業を展開していると噂される

人物で、遠目に見ても実直な人柄がうかがえる人だったと記憶している。

「須藤社長の奥様は社交的な方で、ボランティアにも熱心でいらっしゃる

そうよ」 とはお袋から聞いたことで、夫人達で作る会の役なども数多く

引き受けているらしい。

珠貴は、そんな両親のもとで次期後継者として教育を受けてきた。

それは妹が生まれても変わりなく、彼女の肩には義務と責任が重くのし

かかっている。


『両親は妹には甘いのよ。遅く生まれた子だもの、可愛くてしかたがないのね』


いつだったか、家族のことをこんな風に語ったことがあった。

傍目には、長い間一人娘として大事にされてきた印象があるのだろうが、

彼女の背負うものは大きく、姉妹でも立場や待遇がかなり異なるのだろう。

私と潤一郎も似たようなものだ。 

事業を継ぐと決められた私と、諜報機関への入局しか選択肢のなかった

弟の潤一郎。

妹は歳が離れて生まれた女の子ということもあり、両親に溺愛されている。

珠貴と私の類似点は、こんなところにもあった。

伏し目がちに考え事をしていたので私に気がつかなかったのか、

私の数メートル先を珠貴とその家族が通り過ぎゲート前で立ち止まった。

さほど混雑もしていないロビーは、多少のざわつきはあるものの、家族の

会話は耳に入ってきた。 

父親からは留守中の注意点が告げられ、母親からは旅先のホテルの確認

などが告げられていた。

娘と両親の会話にしては乾いた感じがした。

それに対して、下の娘への言葉は柔らかく、留学先へ同行するにもかかわらず、

心配してやまないといった様子がうかがえた。

そろそろ中に入りましょうと母親が言い、あとは頼んだぞと珠貴に念を押した

あと、父親は下の娘の肩を抱くようにして出発ゲートへと向かった。

いってらっしゃい……手を上げて見送った珠貴を振り返り 

「いってきます」 と応じたのが妹だったことに少しホッとした。

彼女の後ろ姿が寂しそうで、椅子を立ち上がりそばに行くと、見送ったあと

ダラリと下げられた珠貴の手をつかんだ。

 

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