南の海を愛する姉妹の四重奏
 ウィニーが行方不明になったという報せは、レイシェスを青ざめさせた。

 元王太子との婚姻が決まったばかりの、この状況で起きた事件である。

 結婚に反対する、他の領主たちの差し金かと思ったのだ。

 急いで街道の封鎖と、ロアアール中の捜索を軍に命じたが、結果は芳しいものではなかった。

 いまレイシェスの手元に届けられているのは、ウィニーが今朝、公爵邸を出る時には結んでいたという深い緑のスカーフだけ。

 ロアアールの軍服が余り似合わないからと、赤毛と融和させるかのように、いつも結んでいたスカーフだ。

 夜になっても、ウィニーは見つからなかった。

 こうしている間にも、妹に恐ろしい事態が降りかかっているのではないかと思うと、レイシェスはとても眠れそうにない。

 執務室で、悶々とした時間を過ごしている彼女の元へ、小さなノックが届いた。

 まるで人目を憚るようなその音に、自分でも驚くほど心臓が跳ね上がる。

 ウィニーの身に、何か悪いことが起きた報告かと思ったのだ。

 しかし、その扉を開けて入って来たのは──軍人ではなかった。

 執事でもなかった。

 神妙な表情をたたえた、ウィニーの侍女のネイラである。

 驚いていいのか、ほっとしていいのか分からなかった。

 侍女が、妹の安否の情報を持ってくるとは思えなかったが、わざわざレイシェスを訪ねる理由もまた、あるとは思えなかったのだ。

「夜分に突然申し訳ございません。お耳に入れたいことが……」

 ただならぬ空気を彼女から察知し、レイシェスは扉を閉めて入るように告げた。

 そして、聞いたのだ。

 この誘拐事件の、おそらく真実を。

 侍女のネイラは、軍人を父に持ち、フラの血を引く母を持つ。

 彼女の母や祖母は、いまだにフラに太いパイプを持ち、フラ宛の手紙のやりとりは彼女の家を通して行われているほどだ。

 そんな侍女だからこそ、この情報を手に入れて来てくれたのだ。

『ウィニーは、フラに誘拐された』

 これこそ、驚いていいのかほっとしていいのか分からない真実だった。

 ※

 レイシェスは、夜にも関わらず軍舎に乗り込んでいた。

 妹の救出のために、夜通し軍人は動かしているようだが、三将軍は難しい顔を突き合わせながらも静かだった。

 そして。

 誰一人としてレイシェスを見て、妹の安否の報告を、それがたとえ『まだ見つからない』というものであったとしても、することはなかった。

 立ち上がり、深々と礼を示すだけだ。

「妹の行く先は……フラですね」

 拳を握り締め、彼女は小さく小さく呟いた。

「いかにも、その通りでございます」

 古傷とは呼べないほど、まだ新しい頬の傷をあらわにしたままの、アーネル将軍が迷いなく答える。

「あなたがたも、共謀しましたね」

「言い訳など致しませぬ」

 たった一本の腕を己の胸に当てたレーフ将軍が、きりりとこちらにまっすぐな視線を向ける。

「どうぞ、如何様にもご処分を……」

 ロアアールの守護将軍筆頭、ハフグレンもまた、その老いた頬を翳らせることはなかった。

 全ては、ロアアールとウィニーのため。

 己の保身など、誰ひとりと守ろうとはしていない。

 それはまた、フラの公爵とスタファにも言えるのだろう。

 みな、必死に元王太子からロアアールとその娘たちを、守ろうとしてくれているのだ。

 しかし同時に、姉妹が一瞬見た元王太子という人間の差し出す未来が、危険な幻影なのだと伝えようとしていた。

 だからこそ、この計画はレイシェスには知らせられなかったのだ。

 聞かされたら、彼女は当然反対しただろう。

 あの男が見せた未来を、レイシェスだって手放しで信用しているわけではない。

 しかし、そこにフラを巻き込むのは、筋違いもいいところだ。

 下手をすれば、フラはイスト(中央)に反逆の意図があると受け取られかねない。

 そんな危険なことに、どうして巻き込めようか。

 だからこそ、南の地の兄弟もまた、レイシェスに口を閉ざしたのだ。

 しかし、この状況は彼女にとって良いものではなかった。

 男たちの心配の結果、レイシェスは孤立してしまったのだ。

 この件について味方はおらず、将軍にも、ましてやフラの公爵やスタファに相談することも出来ない。

 彼女がしなければならないのは、説得と交渉である。

 将軍たちに、フラの兄弟に、そして、この件がそう遠からず知られるであろうイストに。

 ただ。

 レイシェスは、三将軍の前で疲労と安堵の入り混じったため息をついた。

 ウィニーの身の安全が確保されていることだけは、間違いなかったからだ。

 妹の笑顔が失われることはない。

 それは、自分でも驚くほど深い安堵となって、レイシェスを落ち着かせたのだった。

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