南の海を愛する姉妹の四重奏
 伝令の言葉は、驚きと共にレイシェスの心を揺らした。

 それは、悪い驚きではなく──むしろ、真逆のこと。

「タータイト公!」

 国境に現れたその姿に、彼女は慌てて駆け寄った。

 フラの援軍を率いてきたのは、公爵本人だったのである。

「ラットオージェン公爵閣下にして、私の可愛いはとこ殿……この地で会えるのを、私はどんなに心待ちにしただろうか」

 軍服に、真夏だというのに白いコートを羽織った赤毛の男は、レイシェスの辞儀に指への口付けで応えた。

 嗚呼。

 もしも、これがフラの公爵との最初の出会いであったならば、彼女は恋に落ちていたかもしれない。

 来て下さった!

 それほどの強烈な幸福感が、レイシェスの胸に押し寄せてきたからである。

 この戦いにおいて、最終決定は彼女の心ひとつで決まる。

 助言は、将軍たちでも出来るだろう。

 だが、公爵としての立場で助言が出来る人は、このロアアールにはいないのだ。

 どんな兵士より、いまのレイシェスにとっては心強い男が、登場したのである。

 ウィニーが扉を開け、スタファが戦い、そしてフラの公爵が支えてくれる──それが、どれほど幸運なことであるか、彼女は深く噛み締めた。

「しかし……夏だというのにこの寒さ。情けない男と、笑わないでいただけると助かるのだが」

 首筋を一度震わせるように、赤毛の公爵は笑う。

 そんな男に、レイシェスは心よりの歓迎を込めて微笑み返した。

「ようこそ、我がロアアールへ」


 ※


「愚弟が迷惑をかけたようで、この勇気ある配慮、痛み入る」

 フラの公爵は、無骨なカップで温かいコーヒーを振舞われながら、そう切り出した。

 同席しているのは、レイシェスとハフグレン将軍。それと、それぞれの側近が数人。

「そんなこと、おっしゃらないで下さい。この戦いは、私たちロアアールの戦いでもあるのですから」

 卓を挟んで向かい合わせ。

 レイシェスは、下手の言葉をしなやかな指先で押し返した。

「いや、そうしておいた方が話が簡単なのだよ。ラットオージェン公」

 しかし、彼はそれを素直に受け取らず、ふふふと微笑んだ。

「他の三公爵が、ロアアールのこの戦いに難癖をつけてきたとしても、スタファを生贄にすればいい。スタファの面の皮は、実は私よりも厚いのだからね」

 フラの公爵は、レイシェスと──ハフグレン将軍の両方を見比べるようにして言葉を続けた。

 笑ってはいるが、冗談でも何でもないのだと言っているのだ。

「ご慧眼、痛み入ります」

 重々しく、ハフグレン将軍が口を開く。

 この国内における、他の公爵との駆け引きについて、公爵は語っているのだ。それは、ハフグレン将軍では、口を挟むことの出来ない仕事。

 レイシェスは卓の上で指を組みながら、「そうかしら」と考え、そして微笑んでしまった。

 相手に向ける笑みではなく、自然と胸の内側から湧き上がるそれ。

「彼を生贄にするより、もっと威力のある生贄がいらっしゃるんじゃないかしら」

 ふふふふふと、こみ上げつづける笑みを、彼女はこらえるのが大変だった。

「いらっしゃるでしょう? ほら?」

 名を挙げることは憚られ、レイシェスは自分の赤毛のはとこに向かって、笑みと共に視線を送る。

 それに、彼は目を細めた。そしてまた、彼もふふふふふとこみ上げるように笑い始めたのだ。

「ああ、ああ、なるほどなるほど。それは良い考えだ……そして、良い度胸だ」

 卓を叩いて笑おうとしたのだろうか。

 一瞬持ち上げかけた片方の手を、公爵は我に返ったように止め、そんな自分をひやかすように己の手のひらを眺めた。

 その手のひらから視線を上げ。

「ラットオージェン公は、駆け引きの何たるかと、よく御存知であるのと同時に、人を見る目も素晴らしいようだ。かの君ならば、うちの愚弟の三倍は面の皮が厚かろう」

 二人の公爵の間にいる、一人の男。

「それでは、その面の皮の厚い生贄を、生かして救出せねばなりませんな」

「ええ。ハフグレン将軍……公に作戦を説明して差し上げて」

 こうして──フラの公爵率いる騎馬隊は、ロアアール軍に加わり、国境を越えたのである。

 公爵自ら越えなくともとレイシェスは一度止めたのだが、「私も男だからね。越えたいのだ」と返されてしまった。

 やはりフラの公爵にとっても、国境越えは感慨の深いものらしい。

 見送るレイシェスに、彼は更にひとつの贈り物をしてくれた。

「出立直前に、預かったものだよ。我が領にいるロアアール出身の婦人たちが、奔走して手に入れ、ウィニーに持ち帰らせたいと願ったが、間に合わなかったものだ。ロアアールの者は、本当にこの地を愛しているのだな」

 差し出された麻袋は、開けられ、更に説明を受けるまで、どういう意味のものなのか、レイシェスには分からなかった。

 しかし、それが何か分かった時。

「…………!」

 レイシェスは、声を飲み込まねばならなかった。

 でなければ、公爵にあるまじき絶叫をあげていただろう。

 嬉しい?

 そんな陳腐な言葉では、絶対に表すことが出来ない。

 金銀財宝より価値のあるとんでもないものが、初めてロアアールに持ち込まれた瞬間であった。

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