ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~

「シイナ。食事の時間だよ。食べられる?」
 寝室のドアの前で、声をかける。
 返事はない。
 無理かも知れないと、諦めかけた時、ドアの向こうでかちりと鍵を解く音がした。
「シイナ――」
 待ち望んでいた姿が現れる。
「――あなたは、食事はしたの?」
 問いかける声音は頼りなかった。
「まだだよ。君が食べてくれたら、僕も食べるよ。入ってもいい?」
 手に持っていたトレイを持ち上げる。
 シイナは、それを見て、静かに首を横に振る。
「こっちで食べるわ。だから、あなたも食べて」
 フジオミが身体を引くと、シイナは寝室を出て、テーブルに着いた。
 フジオミはシイナの前にトレイを置き、自分も向かいに座る。
 それを確認して、シイナは静かに箸を付ける。
 食べ出したシイナに安堵して、自分も箸をとる。
 会話のない食事が、今はありがたかった。
 話せることが、なかった。
 シイナはもう泣いてはいなかったが、目の周りは赤く、ついさっきまで泣いていたことが見て取れる。
 シイナの食事はいつもよりゆっくりだった。
 フジオミが全て食べ終えても、半分近く残っていた。
 そうして、その食事すら止まった。
「もういいの?」
「ええ」
「じゃあ、お茶の準備をするよ」
 トレイを脇に寄せると、いつものようにハーブティをいれた。
「熱いから、気をつけて」
「――」
 シイナは、しばらくカップから立ち上る湯気を見つめていた。
 カップを持ち上げ、一口飲んで、もう一度テーブルに置く。
 そうして、またカップの湯気を見つめる。
 何かを言おうとしているようだが、言うべきことがわからない――そんな風に見えた。
「カタオカの言ったことは、気にしなくていい」
「――」
「過ぎたことだ。何も変わらない」
 短く、何事もなかったかのようにフジオミは告げた。
「――でも、私は、知らなかった」
 震える声が漏れる。
「どうして言ってくれなかったの? 言ってくれていたら――」
「君は、何も悪くない。どうであれ、僕が君を傷つけたことには変わりない」
 フジオミは過去の話をしたくなかった。
 今の話を、したいのだ。
 そうして、これからの話を。
 だが、シイナはそれでは納得できないのだろう。
「カタオカがどう言ったかは知らないが、以前の僕は、決していい人間じゃなかった。君を、対等な人間として見ていなかった。だから、君に義務を強いたんだ。無理に、僕を許さないでくれ。そんな許しが、欲しいんじゃない。できることなら、過去は過去として割り切って、今の僕を、見て欲しいんだ」
「あなたは、それでいいの?」
 カップに触れているシイナの手に、そっと自分の手を重ねる。
「以前の僕とは、違う人間になれる。今なら、間違いを正せるんだ。機会が欲しい。シイナ、今の君を愛してる。だから、君も今の僕を見てくれ」
「――」
 シイナは何も答えなかった。
 混乱しているようにも見えた。
 これ以上は、彼女も受け入れられないだろう。
「今日はもう休むんだ。話はいつでもできる。僕も君も冷静に話せるようになってからにした方がいいと思う」
 優しく促すと、シイナは素直にそれに従った。
 ドアの前で、何か言いたげに振り返ったが、結局何も言わずに寝室に入っていった。
「――」
 ドアの向こうに消えたシイナは、このまま消えてしまいそうに儚げだった。
 それだけ、衝撃を受けたのだろう。
 シイナにとって苦痛でしかない行為を、たくさんの男達に強いられるところだったなど、考えてもいなかっただろうに。
 だが、自分に対して負い目など、感じて欲しくなかった。
 そんなもの必要ない。

 自分は、純粋な気持ちでシイナを救ったのではないのだから。




 あの頃の自分は、何もわかっていない愚かな子供だった。
 最後の世代として、大人達に厳しく義務を教え込まされる毎日。
 義務を強いられることには、内心うんざりだった。
 大人達は、自分を教育することで、未来への希望を託そうとしていたが、そんなものに全く興味が持てなかったのだ。
 先は見えていた。
 どうせ、自分達を最後に、人間はいなくなる。
 残るのはクローンだけ。
 所詮、全て無駄な行為だ。
 そんな簡単な未来が、何故、誰にもわからないのだろう。
 あの聡明なカタオカでさえも、最後の希望に縋っている。
 シイナはそんな中でも異質だった。
 女性体であるだけではない。
 彼女は、本当に子供らしい子供だったのだ。
 何にでも興味を示し、知りたがり、彼女の前では、来るべき未来も色褪せたものではなく輝かしいものに思えた。
 そんな彼女と一緒にいることは、退屈ではなかった。
 自分達は、最後の一対。
 未来がどうあろうと、二人で最後まで一緒にいるのだ。
 彼女が未来に何も残せなくても、どうせ、終わりは変わらない。
 ならば、このままでいればいい。
 世界も、彼女も、自分も、何も変わらなくていい。
 それで良かったのに。

 ユカの妊娠が、全てを覆した。

 議会でなされた恐ろしい提案。
 シイナを、他の男達に差し出すなど、考えもしなかった。
 そんな恥知らずな提案をした獣のような男達にぞっとした。
 シイナをユカの代わりにしようだなんて。
 これまで反論したことのない議会で、初めて彼らの提案をはねつけ、自分の主張を押し通した。
 頑なな自分に、反論できる大人はいなかった。
 己の疚しさを、自覚していたからだろう。
 それでも、カタオカが自分の提案を優先させるまで、気が気ではなかった。
 次の議会で正式に自分の主張が通っても、安心できなかった。
 大人達は諦めていなかった。
 提案は却下されたが、それを守るようにも思えなかった。
 自分の知らないところで、シイナが奪われたら――そんな疑心が心を占めるようになった。
 四六時中一緒にいられるわけではない。
 同じ疑念を抱いているカタオカと監視し続けるにも限界があった。
 気の休まらない現状に疲れてもいた。
 それなのに、シイナだけは何も気づかず、変わらずにいる。
 大人達に囲まれて、楽しそうに談笑している。

 何も知らないくせに。

 無邪気なシイナにもどこか苛立ちを感じていた。

 男達の眼差しに気づかないのか。
 隙あらば触れようとする、邪な感情に。

 優しそうな振りをして、影ではあんな案件を出した。
 シイナを大切にしているのではない。
 大切にしているなら、あんなことはできない。
 男という生物は、自分の欲求を満たすためなら、平気で嘘がつけるのだ。
 そんなどす黒い感情もあるのだと思い知らせたくて。
 泣いて嫌がるシイナを、義務を盾に無理矢理抱いた。

 あれは、愛じゃなかった。
 自分も、あの見境のない大人達と何も変わらない。
 自分の欲求を満たすだけの、独りよがりな行為だった。

 あれから、シイナは変わってしまった。
 誰も寄せ付けず、何も語らなくなった。
 最初のように泣き喚くこともなく、大人しく抱かれていたが、それは、彼女にとって苦痛に耐えるだけの時間となった。
 苦痛から逃れるように研究に没頭し、妊娠中のユカとともに第一ドームへ移った。
 第二ドームへ戻ってくることは、ほとんどなくなった。

 安堵した。
 これでもう、彼女は自分から男達には近寄らないだろう。
 彼女を抱きたくなれば、自分が行けばいい。
 これは、義務なのだから。
 そうして、自分もごまかした。
 間違いを、認めたくなくて。
 平気な振りをした。
 これでいいのだと。
 互いの義務を果たせばいいのだ。
 そこに、愛など必要ない。
 どんなに自分を嫌っても、彼女は自分から逃れられない。

 永遠に解けない枷を、自分は彼女につけたのだ。



「――」
 いくら悔やんでも、取り戻せないものがある。
 だが、それを偽りで塗り替えようとは思わない。

 解くつもりのなかった、解けるはずがないと思っていた枷を、解き放ち、自由にしてやりたい。
 彼女が、幸せであるように。

 そうできると、フジオミは信じていた。







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