明日なき狼達
第一章…狼達の彷徨

一匹目の狼

「松山匡、匡と…おっ、あった、あった。その茣蓙の所で私服に着替えちゃってくれ。その間に他の私物と、作業報賞金を用意しとくから」

「はい……」

 松山は、十二年間着慣れた灰色の舎房着を脱いで行った。

 全裸になり、ナフタリンの臭いのする私物箱の中から、一ヶ月前に購入して置いた新品の下着と、クリーニングしたばかりの服に着替えた。

 入所時にこの部屋に入って以来、十二年振りに訪れた。それは、この場所との別れを意味する。

 一時間後、全ての手続きを終えて外に出た。紙袋一つを手に、刑務官に促されるまま、正門の前に立つ。詰め所の前で最後の身分確認を受ける。

「称呼番号と名前を」

 十二年前は刑務官が正門に立っていたが、何年か前から、少しずつ民間企業が刑務所に参入して来た。正門に立っているのは、民間の警備会社の職員だ。

 松山は、昔日の思いを抱いた。

「728番、松山匡……」

「生年月日は」

「昭和二十二年、六月二十日……」

「……はい、確認致しました」

 傍らに居た刑務官が、

「ご苦労さん、長かったな」

 と、柔和な眼差しで松山に言った。

「お世話になりました」

「娑婆は中と違っていろいろと大変だろうが、頑張るんだぞ」

「はい……」

 松山は二度、三度と頭を下げた。

 正門の通用口の扉が開けられ、松山は外に出た。

 初夏の陽射しが、松山に十数年振りの光りを与えた。

 正門を背中にし、松山は十二年間過ごした灰色の建物を振り返る事無く、目の前に広がる景色に見入っていた。

 なだらかに下る坂道の向こうに、バス停が見える。

 そのバス停から年配の女性が坂道を登って来る。

 手に紙袋を持っている。身内の者の面会なのだろうか。バスが行ったという事は、後30分は来ない。

 バス停の待合所の横に、煙草と飲み物の自販機があった。

 受け取った報償金の袋から、千円札を一枚出し、缶コーヒーを買った。

 待合所のベンチに座り、味わうようにして缶コーヒーを飲む。忘れていた味覚が少しずつ口の中に広がって行く。

 半分程飲んでから、松山は思い直したように煙草の自販機の前に立った。

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