夢の欠片
「母さん、歯ブラシと箸買ってきた」


「ああ、うん。由梨ちゃんに見せといてー」


「分かった」


真弓と羚弥のやり取りを聞いていた由梨は、羚弥君が私のところに来る! と、とっさに自分の部屋に戻った。今までの生活の影響のせいで男性恐怖症になっていた由梨は、羚弥に会って怖がりたくはなかったのだ。


ドキドキしながら部屋の中にいた由梨の元に、何も知らない羚弥が訪ねてきた。幸いなことに、部屋の中までは入らず、扉の外からの呼びかけだった。


「由梨? 歯ブラシと箸買ってきたんだけど、見る?」


「あ、……あっ」


声くらいなら大丈夫と思って、由梨は返事をしようとしたが、なぜか外で話した時のように上手くはいかず、言葉にならなかった。


羚弥にはそれが聞こえなかったようで、しばらく経つと足音が去っていった。ああ、どうしよう……嫌われちゃう、と由梨は後悔しながら布団に顔をうずめた。


それから数分経ち、真弓が大声でご飯だよー、と由梨と羚弥を呼んだ。


だが、由梨はそれどころではなく、どうしようどうしようと、相変わらず顔をうずめていた。お腹は素直で、グウっと音を立てたが、由梨の気持ちを変えることはなかった。


こんなことしてたら真弓さんとも羚弥君とも気まずい関係になっちゃ
う。それだけは避けたい。できれば仲良くしてみたい……! いくらそう思っても気持ちだけで、由梨の体が動くとはなかった。


由梨はひたすら自分を責め続け、もう嫌だ、もう嫌だ! と心の中で叫びながら、ベットをドンドンと叩いた。


「由梨ちゃん? 入るよー」


真弓の声が聞こえたのは、それからしばらく後のことだった。


由梨は焦って流れていた涙をこすり、ドアの方を見た。きっと怒ってるに違いない。そう思って、覚悟を決めた。


「由梨ちゃん、食ーべよっ!」


笑顔で入ってきた真弓に、由梨は呆気にとられた。


「……え?」


自分がなぜこうしているのか、なんで早く来ないのか。そう問い詰められると思っていた由梨は、予想外の展開に言葉をなくした。


「カレー、美味しいよー? 由梨ちゃんが作ったんだもーん。自分が作った料理って人一倍美味しいんだよー。人生初めての料理くらい食べなきゃ!」


「怒らない……んですか?」


「えっ、何でー?」


真弓が首を傾げ、由梨の心の中の何かが崩れていった。


「いえ……何でもないです」


「じゃ、食べよっ! 美味しいよ、ほらー!」


真弓は再び笑顔に戻り、スプーンとカレーを差し出した。由梨はそれらを受け取ると、まずはと一口だけ口にした。


「……美味しい」


感動するほどの美味しさだった。


「でしょー? 芋はほくほくだし、カボチャもとろっとしてて最高だし。じゃあ、私は羚弥のとこ行ってるからねー」


「はい」


真弓が笑顔で部屋から出ていき、由梨はもう一口、もう一口と、次々とカレーを食べていった。


その後、由梨のカレーを食べる手は止まらず、そのせいかわずか数分で食べ終わってしまい、由梨は皿から視線をドアノブに向けた。


しばらく見つめた後、由梨は心の中でよし、と決心を固めた。


「……行かなきゃ!」


由梨は空っぽの皿を持って、部屋を飛び出していった。
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