また会う日まで

 「ちょっと貴女っ! どうしたのよっ、その怪我はっ? 今すぐに止血をするから、こっちに来なさいっ!」
 どこかしら不安ではあった。だってあの娘が交渉に行ってから暫くして、数発分の銃声が聞こえたのよ? 何も思わないほうが異常で。
 「平気よ、もう大丈夫だから。ちょっと馬鹿しただけよ」
 へらへらと笑いながら、自分の右腕を抑える彼女。連中が仕掛けた罠は、もう解除されている。つまり、彼女の言った交渉が成功したのだろう。呼吸しがたい森は、本来の姿を取り戻していた。
 これが成功というのだろうか? 彼女の右腕の負傷と引き換えに、この森から彼らが消えた。「これから」この森に住む鳥たちはもちろん、私や野生の狼だって。彼らから命の危険に晒される日々は消えた。安心して「これから」の生活を送ることが出来る。たしかに成功なのかもしれない。
 だけど、私には理解できなかった。
 「ちょっと、トラさん? 何をする気?」
 冗談じゃない、と暴れる彼女。私は魔法師で、ヒトも動物も癒すことが出来るのだから。暴れる彼女を壁に押し付けて、急いで陣を描いて、
 「ちょっとは大人しくしてなさいっ!」
 と叫んだ後に、気を読んで、ゆっくりとではあるものの、彼女の怪我を治す。と同時に開いては広がっていく傷に、情けないと思う。涙を流しながら「お願いだから、もう大丈夫だから」と訴える彼女。何がもう大丈夫よ、傷はまだ完治していないのよ? 
 彼女の怪我を癒し終えて、私は体を横にし、目を閉じた。

 未練など何一つとしてない、と言えば嘘になる。サーカス団で一番の相性を持つ私とマスターは、一番の看板役だった。ぴったりと息の合った演技と、長年の努力で培ってきた技術に、有難いほど大きなお客さんの声。小さな子供たちのきらきらと輝く瞳と、「今日も頑張ったね」と、マスターの一言が、私の何よりの糧だった。
 団長よりも早く起きて、私たちのいる場所まで来ては、
 『今日も一日頑張ろうね』
 と言って笑うマスターが、私は大好きだった。
 「ねえ、どうして助けるのよ?」
 専門の道具を手にし、首を傾げる彼女。見ただけで分かる。彼女が医療現場にいた人間なのだ、と。決して手馴れているわけではないのだろうけど、一体何をしにこんな所まで? ここは亡国リガルハの国境付近の森林。もう少し先に行けば古代遺跡が存在するけど、医学の道を歩いているであろう人間が、はたして古代遺跡に興味があるのか、とさえ思う。
 「困っている者を放置できるほど、私は冷たい人間ではないわ。それがたとえ人間だろうと、動物であろうと」
 くるりと振り返り、笑顔で言った。どうしてだろうか、と思う。彼女とは今日あったばかりだと言うのに。古代遺跡に興味があるようには思えないし、まさか死を急ぐ人間でもなさそう。本当にこんな所まで、一体何を目的としてきたのだろうか、と思う。大きなカバンは何日と旅行を続けますよ、と言わんばかりに膨れている。
 「貴女は、何をしに、ここへ?」
 とてもゆっくりとした口調だと、どれだけ小馬鹿にされようとも、納得できたし、反論はしないつもりだ。ぴたり、と動かしていた手を止めて、彼女は誇らしげに言った。
 「魔法師になる為よ」
 にっこりと笑った顔に、ほんの少しの偽りもなく、彼女が彼女自身の口で、はっきりと自分の気持ちを言っているのだ、と分かった。
 「私ね、高校生の頃までは『天才ピアニスト』として有名だったの。いろんな大会で大きな賞を頂いて。テレビや新聞、音楽とは全く関係のない雑誌からの取材。毎日が楽しくて楽しくて、嬉しかった。たくさんの人が私の演奏を聴いてくれるんだって思うと、苦しさなんてなかった」
 遠い過去の事のように話す彼女。私にも、その気持ちが痛いぐらいに分かる。
 「一七の時、大きなコンクールがあったの。だけど私は、その日に限って寝坊をしてしまって、家の前で大きな事故を起こしてしまった。私を見ては『もうピアノは無理でしょう』って言う人、聞こえないように『かわいそうに』って言う人。たくさんいた。だけどある日、どんな医者でも完治は無理だ、二度と動くことのない右手と言っていた私の手を、とある人はたった数秒で完治させたの」
 とても分かりやすく、途中で決してあきらめることのない、典型的な例が、今、目の前にこうして自分の過去話を教えながらいる。
 「私、最初、あの人みたいになりたいって思って、国立大学の医学部に入ったの。だけど、医学部を出たって魔法師にはなれないって、気がついたのは、つい最近」
 まっすぐな瞳と曲がっていない気持ち。きっと私のやるべきことはたった一つ。
 「私ね、魔法師になりたくて、ここに来たの」
 彼女を立派な魔法師に育てること、ただ一つだけ。


 アルゼリア王国の姫様が何者かによって殺されたと聞いた時、レイは魔法師になるための修行を開始して、十ヵ月ほど過ぎた、とある昼下がりの事だった。世の中は物騒だ、と思いながらも、本日のお昼食を口にする。魔法師の修行を始めてから早十ヵ月。最初に身についたものは、野生の動物との意思疎通だった。深い森の中で、何カ月と生命と直に触れてきていたのだから、魔法師としての一歩というよりも、野生動物との意思疎通を早く獲得して当たり前なのかもしれない。もちろん、不満はないのだが、どうしてか、納得が出来なかった。
 「トリットさん、アルゼリアはそこまで馬鹿な国じゃないと思うよ? 世界トップクラスの技術と豊富な資源があるからって、いくらなんでも一国の皇女様が殺されてしまうほど、自惚れて隙を作ってしまう弱小国家じゃないよ」
 トリットさん、と呼ばれた美しい羽根を持つ鳥は、小さく「本当かしら」と小さな身体を傾けながら言った。
 レイはこの休み時間が一番落ち着いていられると、心の底から思うのだ。毎日、魔法師として知識を詰め込んでいくのは、やはり年齢的な限界がある。こうした僅かな休憩が、心安らぐものとなる。鳥たちはレイに。いろんなことを教えてくれる。彼らが情報を与えてくれるおかげで、レイは魔法師として修業を始めて十ヵ月ほどの間、テレビやラジオ、新聞などといったものを必要としない生活に、自然と溶け込んでいた。
 「私ね、噂なんだけど、ちいちゃんがその皇女様が殺されるのを見たって、風の噂で聞いたわ」
 ちいちゃん、鳥類の中でもかなりの情報屋。レイも、見たことはないが、何度も耳にしていた。
 だが、
 「だとしてもありえないわ。あの国は敵も小一時間とたった一回談話で同盟国とさせる。どこの国とも仲良くやっていくことのできる優秀な所よ? 恨みを売買するような国じゃないわ」
 口には決して出すことのない「人間を馬鹿にしないでくれ」の言葉が、トリットさんに伝わったのか「だと良いのだけれど」と不安を隠すことなく言った。

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