チェリとルイル
 何の蜜だろう。

 甘い甘いその味に、チェリの意識は遠くに持っていかれそうになった。

 こんなに甘いお菓子を食べたのは、生まれて初めてだ。

 次々と口に放り込みたくなる気持ちを、ぎゅっとおさえる。

 こんなおいしいお菓子を、一人で食べちゃダメだ。

 彼女の頭に思い浮かぶのは、ルイルの顔。

 怒ってばかりの妹も、この甘いお菓子を食べれば、きっとにこにこになるに違いない。

 懐の袋に、ひとつ入れようとしたその時。

 心臓が止まるかと、思った。

 いないのに、いたのだ。

 言葉がおかしいが、それが真実だった。

 誰もいないと思っていたのに、気づいたらそこに人がいたのだ。

 そこというか、テーブルの向かい側。

 痩せて神経質そうな男が座って、不機嫌そうにこちらを見ているのだ。

 夜よりも深い、目と髪の色。

「あ、いえ、その、私は泥棒じゃありません!」

 チェリは、慌てて椅子を引いて立ち上がろうとしたが、椅子は彼女を座らせたままびくとも動かない。

「あの、椅子が座れって……いえ、本当に言われたわけじゃないんですが、そう言われた気がして、それで座ったらお茶が」

 席しばりつけられたまま、驚きと混乱の中、必死に言い訳をする。

 悪いことをしに来た訳ではないと、何とか相手に分かって欲しかったのだ。

 その声の大きさにか、男は顔をしかめ手を振った。

「うるさい……分かったから少し黙れ」

 ぴたっ。

 初めて聞いた男の声は、低く迫力があって、チェリはその口をぴたっと閉じた。

 閉じたまま、どきどきでいっぱいになりながら男を見る。

 ど、ど、どうしよう。

 キジで許してくれるかな。

 ルイルに持って行こうとした焼き菓子を、ひとつ握りしめたまま。

 チェリは、がっちがちに固まっていた。


 ※


 黙っている間、チェリは居心地悪く男を見るしか出来なかった。

 彼は、いくつと言えばいいのだろうか。

 二十代にも見えるし、五十代にも見える。

 とらえどころがなく、よく分からなかった。

 真白のシャツを着て、その上に深紫のローブを羽織っている。

 ローブには、美しい銀の細工の留め具がついていて。

 自分のいまの立場におそれおののきつつも、綺麗だなあと思った。

「菓子を食べるのなら、勝手に食べろ」

 黙りこくって、お菓子を握りしめているチェリは、さぞや間抜けに見えたのだろう。

 ため息の後、男がそう言う。

 しゃべっても、いいのだろうか。

「あの……これは家へのおみやげに……」

 言うと、彼は表情を険しくする。

 物凄く、不快なようだ。

「持ち帰る菓子は、他にやる……それは自分の口に押し込め」

「あ、いえ、お土産をもらうわけには……これひとつで十分……もがっ」

 焼き菓子は、ふわりとチェリの手から離れ、言葉で抵抗する口の中に、本当に押し込まれてしまったのだ。

 お、おいしい。

 一度口の中に入ってしまったものを粗末に出来ず、半泣きで彼女はそのおいしさを噛みしめた。

 噛み締めながらも、チェリは不思議だった。

 彼は、自分を疑ったり訝しがっていないように思えるのだ。

 それどころか、お菓子を食べさせた上に、お土産までくれるという。

 もしかして。

 言葉や表情はきついけれども。

 とても、いい人?

 見ず知らずの小娘に、お茶とお菓子を振る舞ってくれる人は、いい人か物凄く悪い人のどっちかしかいない気がしたのだ。

 物凄く悪い人の方には、どうしても見えなかった。

「あの……勝手に入って……怒ってません?」

 おそるおそる。

 口の中のお菓子を、お茶で綺麗に整えた後、チェリは聞いてみた。

 男は、軽く顎で指した。

 振り返ると、そこにあったのは、玄関の扉。

「開いていただろ?」

 あれは──入れの合図だったのかあああああああ。

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