チェリとルイル
ウサギを、食べた。
あのウサギを、食べた。
この女は、そう言ったではないか。
あのウサギのことなんて、知っているのは、この世でただの三人しかいないはず。
だから、いまチェリが考えてしまった『それ』は、ありえないことなのだ。
なのに。
「ルイル……?」
チェリは、信じられない言葉を、口にしていた。
そう、目の前の女性に呼びかけていたのだ。
ルイル──赤毛で、そばかすの残る自分の妹の名を。
混乱する思考の中で、大きな大きな違和感が渦を巻く。
チェリより、明らかに年上のこの女性と妹では、髪と肌の色以外、何一つ同じものはない。
なのに、ルイルだと思ってしまったのだ。
「あーあ……やだやだ、その名前で呼ばないで」
女は、臭いものを見るように手を振った。
「ちょっとは使えるかと思ったけど、まさかここまで役に立つとはね」
白く細い首を傾ける。
濡れた長い赤毛が、揺らめいた。
「ウサギを置いて来たって聞いた時は、呆れたわ。絶対、こいつは食べるはずないって思ったもの……なのに、本当に食べるなんて」
おねーちゃん!
いつも怒って、自分をせっついていたルイル。
本当に魔法使いを退治して欲しかったのは、村の人ではなく──妹だったのだ。
いや、妹じゃない。
妹じゃない。
「私に……妹なんか……いない」
混乱する記憶に打ちのめされながら、チェリは茫然と立ちつくした。
そして。
同時に。
自分の置いてきたウサギが、この事態を引き起こしたのだと分かった。
「人間は動物を家畜として飼えるでしょ? それと同じ。魔法使いは……人間だって飼えるのよ」
お前なんか、ただの家畜だと言われた瞬間。
ニ・タ。
チェリの頭の中で、何かが弾けた。
※
「この、ぶぁっかもん!!!!」
突然、チェリの口から、勝手に言葉が飛び出した。
自分でも、理解の及ばない声と内容。
雨の中、ずかずかと勝手に身体は進む。
「え!?」
驚愕しているのは──赤毛の女だった。
「このバカ娘が! ニタ! どうしてワシがお前に家を残さなかったか、まだ分からんのか!」
彼女の背中をひっつかみ、前のめりに倒す。
そのままの勢いで。
「ひぃっ!」
女の尻を。
ひっぱたいた。
「お前は、どうしても人を愛せなかった。ワシを愛す、ほんのわずかでもいいから、人を愛せとあれほど言ったのにじゃ」
バシッ!
ビシッ!
「いた、いたたたた、お父様やめて、お父様!」
お父様。
チェリの唇と、チェリの身体は、この時だけは違うものだった。
自分よりはるかに聡明で年老いた意識が、身の内に広がっている。
通り過ぎる、数多くの誰かの記憶。
その中に、赤毛の娘がいた。
名前は──ニタ。
大魔法使いファルクの娘。
娘への、愛と怒りが心の中からあふれ出る。
「お前は、この家におってはならん! 家にこもりきり、上層に行ったまま戻ってこんじゃろう。それじゃいかんのじゃ。人と付き合える魔法使いになれ……さすれば……」
それが、余りに強すぎて。
すぅっと、意識が遠のいた。
ふわっというか。
くらっというか。
全身が、一瞬軽くなったかと思うと。
「さすれば……自分の家を作ることが出来る」
地面にめがけて、強く引っ張られた。
バシャン。
たまるほどの水に身を落としながら、チェリは最後に頭の中で声を聞いた。
『森の嬢ちゃん……ちょうどよかったものじゃからつい使こうてしもうた。すまんのー』
さっきまでの剣幕とは打って変わった、ちょっと優しい声だった。
あのウサギを、食べた。
この女は、そう言ったではないか。
あのウサギのことなんて、知っているのは、この世でただの三人しかいないはず。
だから、いまチェリが考えてしまった『それ』は、ありえないことなのだ。
なのに。
「ルイル……?」
チェリは、信じられない言葉を、口にしていた。
そう、目の前の女性に呼びかけていたのだ。
ルイル──赤毛で、そばかすの残る自分の妹の名を。
混乱する思考の中で、大きな大きな違和感が渦を巻く。
チェリより、明らかに年上のこの女性と妹では、髪と肌の色以外、何一つ同じものはない。
なのに、ルイルだと思ってしまったのだ。
「あーあ……やだやだ、その名前で呼ばないで」
女は、臭いものを見るように手を振った。
「ちょっとは使えるかと思ったけど、まさかここまで役に立つとはね」
白く細い首を傾ける。
濡れた長い赤毛が、揺らめいた。
「ウサギを置いて来たって聞いた時は、呆れたわ。絶対、こいつは食べるはずないって思ったもの……なのに、本当に食べるなんて」
おねーちゃん!
いつも怒って、自分をせっついていたルイル。
本当に魔法使いを退治して欲しかったのは、村の人ではなく──妹だったのだ。
いや、妹じゃない。
妹じゃない。
「私に……妹なんか……いない」
混乱する記憶に打ちのめされながら、チェリは茫然と立ちつくした。
そして。
同時に。
自分の置いてきたウサギが、この事態を引き起こしたのだと分かった。
「人間は動物を家畜として飼えるでしょ? それと同じ。魔法使いは……人間だって飼えるのよ」
お前なんか、ただの家畜だと言われた瞬間。
ニ・タ。
チェリの頭の中で、何かが弾けた。
※
「この、ぶぁっかもん!!!!」
突然、チェリの口から、勝手に言葉が飛び出した。
自分でも、理解の及ばない声と内容。
雨の中、ずかずかと勝手に身体は進む。
「え!?」
驚愕しているのは──赤毛の女だった。
「このバカ娘が! ニタ! どうしてワシがお前に家を残さなかったか、まだ分からんのか!」
彼女の背中をひっつかみ、前のめりに倒す。
そのままの勢いで。
「ひぃっ!」
女の尻を。
ひっぱたいた。
「お前は、どうしても人を愛せなかった。ワシを愛す、ほんのわずかでもいいから、人を愛せとあれほど言ったのにじゃ」
バシッ!
ビシッ!
「いた、いたたたた、お父様やめて、お父様!」
お父様。
チェリの唇と、チェリの身体は、この時だけは違うものだった。
自分よりはるかに聡明で年老いた意識が、身の内に広がっている。
通り過ぎる、数多くの誰かの記憶。
その中に、赤毛の娘がいた。
名前は──ニタ。
大魔法使いファルクの娘。
娘への、愛と怒りが心の中からあふれ出る。
「お前は、この家におってはならん! 家にこもりきり、上層に行ったまま戻ってこんじゃろう。それじゃいかんのじゃ。人と付き合える魔法使いになれ……さすれば……」
それが、余りに強すぎて。
すぅっと、意識が遠のいた。
ふわっというか。
くらっというか。
全身が、一瞬軽くなったかと思うと。
「さすれば……自分の家を作ることが出来る」
地面にめがけて、強く引っ張られた。
バシャン。
たまるほどの水に身を落としながら、チェリは最後に頭の中で声を聞いた。
『森の嬢ちゃん……ちょうどよかったものじゃからつい使こうてしもうた。すまんのー』
さっきまでの剣幕とは打って変わった、ちょっと優しい声だった。