Secret Lover's Night 【完全版】
prologue
<HALの始まり>


上京して8年が経ち、望めば大概のモノが手に入るようになった。
イイ仕事をして、イイ暮らしをして、イイ女を抱いて、自由気ままにやってきた。

けれど、どこかぽっかりと空いた穴が埋まらないのだ。

特にそう…こんな雨の日は。

「まだ雨降ってんのー?」
「おー。先にいらっしゃいませちゃうんか」
「あっ、いらっしゃいませー」
「はいはい。いらっしゃいました」

いつもと同じ席に座り、いつもと同じ酒を飲み、いつもと同じ女を隣に置く。
変えないのは面倒だからではない。変わらないことが好きなだけだ。と、カッコつけるのもまた演出。

クールで、ドライで、それでも優しくてカッコイイ男。

そう演じることで保つ仕事の量は、それなりの成果を生んでくれる。

「ねぇ、携帯鳴ってるんじゃない?」
「んー?おぉ。ええねん。今は仕事中や、仕事中」
「えー。彼女可哀想じゃん」
「おいおい、決めつけか。もし相手が彼女やったとしたら、こんな店ん中で「もしもーし」って言われる方が可哀想やろ?世の中知らん方がええこともある」

クスッと笑うと、長いまつ毛が揺れる。
そろそろ乗り換えを考えていると言えば、甘えて擦り寄るこの女は何と言うだろうか。

ねぇ、私を彼女にしてよ。

そう言って、ムスクの香りを絡ませるに違いない。
それくらいの自信はあるし、それなりの態度をとってきたつもりでいる。

「男女関係は、清く、正しく、スマートにがモットーや」
「例えばー?」
「んー。知らんでええことはわざわざ知らせません。不安にさせる方が可哀想やろ?」
「えー。超自分勝手ー」
「何とでも言うてくれ」

派手派手しいネイルと、甘ったるい声。
どちらも好みではないけれど、断ち切るまでではない。付かず離れずがベストなのだ。

「ハタチのガキには理解出来んか?」
「もぉー。オジサンみたい」

20代後半は、まだまだオジサンには程遠い。そう教えてやると、ツンと唇が尖った。

「そんな顔しても、店ん中ではせんよ」
「もうっ!」
「だぁめ」

唇に触れると、たっぷりと塗られたリップグロスが指先にべとりと絡む。それを丁寧におしぼりで拭って手を握ってやると、期待に満ちた瞳が見上げた。

「残念。今日はもう帰るわ」
「え?さっき来たばっかじゃん」
「顔見に来ただけ。また来るわな」

上手くかわすことも重要。それを客に教えられてどうする。と、喉元まで出かけてゆっくりと呑み下した。

「ここでええよ。勝手に帰るし」
「え?外まで送るよ?」
「いえいえ。忙しいナンバー候補にそんなことさせられません」
「もうっ!いっつもそうなんだから」
「俺みたいなしがないカメラマンはさっさと追い出すに限るぞ?男は見た目やなくて経済力なんやからな」
「あははっ。見た目がいいのは認めるんだ」
「当然。それでメシ食ってますから」

渋る女の背を押し「早く行け」と促すと、漸く右側が自由になる。
支払のためにポケットから使い込んだ長財布を引き抜き、数枚のお札を渡してその場を離れる。つり銭はあの子にやって。と、何度も隣に座らせるくせに未だに名前を憶えていない女の背中を指し、そのまま背の高い扉を押し開けた。

「あれっ?HALさん。もう帰るの?」
「おぉ、またな」
「またジュリちゃん?今度は私を指名してね」
「はいはい。二人で話し合うて」

じゃあな、と手を振りながらエレベーターの扉を閉め、ボタンを押して一息つく。
今日もハズレだ。埋まるどころか、余計に穴が広がった気さえする。

「どっかに落ちてへんかなぁ」

そんな風にボヤキながらビルを出て、ここ数日ですっかり手放せなくなった傘を広げる。
じとじとと湿っぽい空気は嫌いだけれど、打ち付ける雨の音は嫌いではない。
良い事も悪い事も、重い気分でさえ洗い流してくれる気さえする。

「サナちゃん!サナちゃん!!」

雨音に混じって聞こえる声にふと視線を上げると、どこかの店の黒服らしき男とドレス姿の女が鉄製の非常階段を勢い良く駆け下りて来る。
おっと、とぶつからないように避け、その階段の隙間から見えた白いナニカに気付く。
それは、ほんの気紛れだった。

「サナちゃん。探されてるんちゃう?」

声を掛けると、ビクリと体を跳ねさせて振り返る白いナニカ。
それを女の子だと判断したのは、手を伸ばしてからだった。

じわりと伝わってくる体温と、柔らかな感触。
ぽっかりと空いたままだった穴が、少しずつ小さく埋まっていく気がした。
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