Secret Lover's Night 【完全版】
Chapter 2

加速する想い

翌朝、けたたましく鳴り響く電子音に、うーんと唸りながら千彩は僅かに瞼を持ち上げた。

しっかりと自分を抱いて眠る晴人を揺すり、早く音を止めてくれ!と思いを込める。


「はる…はるってば…」


いくら揺すっても呼び掛けても、疲れ切っているのか、晴人は表情一つ変えずに眠り込んでいる。そのくせ、自分を抱く腕の力だけは強くて。

抜け出そうと四苦八苦しているうちに、心地好い眠気が徐々に覚めていってしまう。

少し顔を上げ、せっかくなので寝息を立てる晴人の顔を盗み見た。


「キレーな…顔」


整えられた眉に、目頭から目尻まで綺麗にラインの入った二重瞼。高い鼻に薄い上唇。

眠っていたら、女性と言われても疑わないかもしれない。と、端正な顔立ちを前に千彩はふぅっと感嘆の息を漏らす。

徐にふにっと頬を抓んで引っ張ってみると、遊ぶ千彩を窘めるように腰を抱く腕の力が強くなる。

そして、耳元で囁かれる甘い音。


「んー…ちぃ」


名を呼ばれるだけで、こんなにも気分が高揚するのは初めてで。思わず息を詰まらせ、苦しさから逃れるように千彩は晴人の胸元にギュッとしがみ付いた。


それから数十分して、カーテンの隙間から差し込む光に促され、重い瞼を持ち上げた晴人。腕の中の千彩は、Tシャツの胸元にしがみ付くように眠っている。

「よぉ寝るなぁ、ホンマ」

恵介に散々連れ回され、昨日はくたくたになって家へ戻った。三人が三人共、両手いっぱいに荷物を持って。

「あぁ…あの服片付けなあかん」

ボソッと漏らす晴人の腕の中で、うぅんと唸りながら千彩が身動く。スッと長い髪を梳くと、差し込んだ陽の光でそれが煌めいた。
色白の千彩を彩る艶やかな黒を、晴人はとても気に入っている。

「ちぃ、起きよか?」
「…うぅん」
「ほらほら、離して?ご飯作るから」
「ちさも…」
「はいはい、わかったから」

ポンポンと頭を撫でると、ギュッと握られていたTシャツが解放される。その隙にベッドを抜け出すと、ガラス扉を滑らせてリビングへと出た。

「あぁ…これも片付けな…って、こいつもか」

帰って早々に千彩が眠ってしまったものだから、昨日は男二人で結構な時間まで酒を飲んでいた。だからして、リビングのテーブルの上にはその残骸が、ソファには酔い潰れた恵介が転がっている。
それを一瞥してバスルームへ向かうと、目を覚ますために少し低めに温度を設定したシャワーを浴びた。ブルブルと頭を振り、一気に眠気を飛ばす。

「メシ作って、仕事行って…と。あー、ちぃの昼メシどうしよかな。晩メシもか。戻れんわな、今日は」

急遽完全にオフにしてしまった昨日の皺寄せで、夕方まではスタジオ、そこからは事務所に篭りっきりになってしまう。
自宅に持って帰れる仕事ならば是非ともそうしたいのだけれど、眠る前にスケジュールを確認した際に、それは限りなく不可能に近いと苦い判断を下したのだ。

「うーん。さすがにこれじゃ無理かな」

髪をタオルで拭きながら冷蔵庫の扉を開くも、大した食材は残っていない。朝食を出して、尚且つ二食分を作り置きする。そんな考えには、さすがに無理があった。

どうしたものか…と頬を膨らせながらリビングに戻り、そして、思い出す。目の前でソファに転がる、未だ夢の中に居る友人の存在を。

「おい、恵介。お前今日仕事は?」
「んー…なんじ?」
「9時過ぎ」

チラリと時計を確認して告げてやると、慌てて起き上った恵介が声も出さず何かを探し始める。そして、タイミング良く居場所を知らせるように目的の物が電子音を響かせた。


「はい。あぁ、すみません。直ぐに向かいます。はい」


と、聞こえた。晴人の耳には。

けれど、目の前の恵介には一向に動き出す気配が感じられない。
これはまた悪い癖が出たな。と、寝ぐせのついた髪をわしゃわしゃと掻き回す恵介をじとりと睨み付けた。

「朝から怖い顔してんなぁ、せーと」
「何回言うたら理解するんや?お前のこの阿呆な頭はっ!」

学生時代から、恵介は遅刻の常習犯で。注意をすれば反省した素振りは見せるのだけれど、それはやはりその瞬間だけで長くは続かず。翌日になればまた堂々と遅れて教室に入ってくる恵介に、先生も真面目に学校に通っていた晴人も頭を悩ませた。

社会に出てからはまだマシにはなったものの、やはり遅れて顔を出す方が多い。
同じ事務所に所属するだけに、それは学生時代と変わらず晴人の悩みの種となっていた。

「さっさとシャワー浴びてこい!」
「いっ…た!」

バチンッと一発くれてやり、晴人はキッチンへと足を向けた。その後に恵介が続き、立ち入ろうとした途端また一発。

「シャワーはあっちや!」
「コーヒーちょうだいやー」
「浴びてからにせえ。今から俺はメシ作るんや」

カウンターの端に置きっぱなしにしてあった薄いオレンジ色のカフェエプロンに手を伸ばし、腰に巻き付ける前にパンッと一振りする。
お腹を空かせて起きて来るだろう千彩のために、昨日よりもしっかりめの朝食を用意しようとした時だった。開けっ放しにしていたガラス扉の向こうから、ペタペタと足音が聞こえてきた。

「はるー、おはよう」
「おぉ。おはよう、ちぃ」

匂いに誘われて起きて来たのだろうか。まだ眠そうに目を半開きにしている千彩が、カウンターに並べられた朝食を覗き込んで物欲しげな表情を浮かべている。

「料理してるから後でな?」
「んー」
「危ないから」

腕を伸ばす甘えん坊を窘め、ポンポンと頭を撫でてやる。そこに、匂いに釣られたもう一人が、わしゃわしゃとタオルで髪を拭きながら、上半身が裸の状態で戻って来た。

「うまそー!さすがやな、せ…晴人」
「あんだけ飲んでよぉ食おうって気になるな」

呆れた顔の晴人にグッと親指を立てると、恵介はそのままキッチンの入口に立つ千彩を抱き寄せる。

「おはよー、マイエンジェル」
「けーちゃん、冷たいよー」

ポタリと落ちた水滴に、千彩がグッと眉根を寄せる。それに気付いた晴人が、顔を洗ってくるようにとバスルームへと千彩を促した。

「晴人、コーヒーちょうだい」
「そこに淹れてるやろ。それ食ってさっさと仕事行け」
「はいはーい」

やはり恵介に反省の色はなくて。それにため息の一つでもつきたくなるけれど、昨日の千彩との約束を思い出してそれを呑み込んだ。


千彩曰く、ため息を一つ吐くと、幸せが一つ逃げるのだとか。


「はるの幸せ、なくなっちゃう。もうため息吐かないって約束ね?」


そう言って小指を差し出され、頷いてそこに自分の小指を絡めて約束した。
それに切なくなったのは、つい昨日の話だ。
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