Secret Lover's Night 【完全版】
Chapter 3

波乱の幕開け

バルコニーから大きく手を振る千彩を見上げ、同じように手を振って車に乗り込む。エンジンをかけ、エアコンはつけずに窓を全開にした。
最初の角を曲がるまで、千彩は見送っている。それをバックミラーで確認して、ゆっくりとハンドルを切った。

「今日は…はよ帰れるかな」

慣れた道のりを走りながら、一つ、二つとカーブを曲がる。
自由な独り身からの生活スタイルの変更は、自由過ぎる生活をしてきた晴人にとってはかなり難しい問題だった。
ソファで膝を抱えて待っていた姿を思い出し、胸がチクリと痛む。

退屈しないように早々にアニメチャンネルを手配し、無音に近かった部屋は千彩が起きてから眠るまでの間はアニメが流れるようになった。滅多に点けることのなかったTVも、今やフル稼働状態だ。

エプロンが仕上がったと同時に、暇潰し代わりに簡単な料理本も買い与えた。おかげで、ランチはお手製のお弁当が持たされる。

そして、ポータブルゲーム機とそのソフト、ピース数のやたら多いパズルや絵本などは、過保護の友人達からのプレゼント。

「でもなー…」

やはり所長が言うようにモデルにしてしまおうか。と、千彩に甘い晴人はそう思ってしまう。寂しい思いは極力させたくない。専属モデルにしてしまえば、ずっと一緒にいることが叶う。

けれど、自分だけのものにしておきたい。

そんな矛盾に頭を悩ませながら駐車場に車を停め、事務所へと入る。階段を上りながら、少しずつ窓を開いていくと、夏の朝のまだ涼しい風が晴人の頬を撫でた。

「ええ風や。今日も暑くなりそうやな」

ビルの合間から顔を覗かせる太陽を見上げ、伸びた髪を掻き上げる。前髪をちょいと摘み、日の光りに透かしてみた。

「メーシーに切ってもらうか…」
「俺が何だって?」

不意に声を掛けられ、振り返る。ひらひらと手を振るメーシーが、相変わらずの女受けの良い笑顔で「おはよー」と笑っていた。

「おぉ。おはよ。今日時間空く?切ってや、これ」

長くなった前髪を摘んだまま、晴人は伺いを立てる。それに更に笑顔の色を濃くし、メーシーは頷いた。

「今日はねー…うん。王子の仰せの通りにーなんつって」
「あはは。ほなお願いします、カリスマメーシー様」
「そうそう、そうでなくっちゃ」

笑い合いながら階段を上り切り、事務所の扉を開いた。二人だけの室内で、恵介の遅刻の有無を賭けながらそれぞれ与えられたデスクに就く。

撮影までにはまだ数時間ある。昨日の写真を処理してしまおう。と、晴人はPCの電源を入れた。そこに、缶コーヒーを二本持ったメーシーがやって来る。

「はい、どーぞ」
「サンキュ」
「最近この時間に来てるんだって?撮影も午前中に入れてること多いし…一体全体どうしちゃったんだか、うちの王子様は」
「ん?あー…」
「早く終わらせて、早く帰んなきゃ…って?」
「まぁ…な」
「おかげでこっちはスケジュールがカツカツだよ。まいったねー」
「あぁ…ごめん」

申し訳なさげに眉尻を下げ、缶を傾ける。それを見て、「あははっ。情けない顔だ」と晴人のデスクに凭れかかったメーシーが笑った。

つい一週間ほど前までは、晴人が事務所に顔を出すのは決まって午後からだった。
早い時間の撮影は滅多に受けず、わざと遅めの時間帯に撮影を入れ、修整やら合成を済ませてから事務所を出る。そのままスタッフと飲みに出ることも多かっただけに、帰りは言わずもがな午前様だった。

けれど、ここ一週間はどうだろう。

まるで会社勤めのサラリーマンが出社するような時間に顔を出し、遅い時間の撮影は受けず、なるべく無駄な空き時間が出ないように詰めてスケジュールを組む。
そして、それが終わればさっさと帰宅。飲み歩くことも無くなった。

そんな晴人の変化に、事務所内だけではなく撮影にやって来るモデルまでもが驚いている。

まぁ、当然と言えば当然だろう。

「噂されてるよ、王子」
「ん?誰に?」
「モデルさん達」
「あー。どんな?」
「結婚したんじゃないかーってね」
「結婚?どっからそんな…」

生活スタイルを変えたくらいで?と晴人は思うけれど、「それが一番の原因だっての」と突っ込まれ、ふぅっとため息を吐くしか出来なくなった。

「いいんじゃない?この際噂通りに身を固めても」
「あほなこと言いな」
「いいと思うけどなー、俺は。まっ、王子がこのまま真面目ならって話だけど」

あはは。と笑いながら去って行くメーシーの後姿に、もう一度ふぅっと息を吐く。

千彩とは、確かに一緒に暮らしている。上京してから感じたことのないような穏やかな毎日を過ごしているのも確かだ。

けれど、結婚するとなれば話は別。
相手はまだ17歳の、しかも世間知らずの少女なのだから。


「結婚…なぁ」

ボソリ、と呟いた晴人に、メーシーがクスッと笑いながら振り返る。そして、少し茶化してやろうかと言葉を掛けようとした。
けれどそれは、一人の訪問者によって遮られることとなる。
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