Secret Lover's Night 【完全版】
テーブルに広げられたのは、数日前に撮影した香水の販促広告。両手を広げて満面の笑みを見せるそのモデルは、間違いなく千彩だ。

「なん…で?」

そのまま言葉を失った晴人の代わりに、うーんと唸りながら顎に手を添えるメーシーが言葉を続けた。

「吉村さんは、このモデルさんに会うためにわざわざここへ?」
「そうなんですわ。あっちゃこっちゃ問い合わせしたんですが、どこにもわからん言われまして。やっとこの事務所に行き着いた思うたら、モデルはわからんから撮ったカメラマンに訊いてくれってここの住所教えてもろたんです。お願いしますわ、HALさん」
「ふふっ。そこまで熱心に追い掛ける人も珍しいですけどね。一目惚れしちゃったとか?」

いい年してるだろうに…と、出かかった言葉をメーシーは慌てて呑み込む。変に刺激して、ここで暴れられたらたまったもんじゃない、と。


「いや、実は…これ、僕の娘ちゃうかと思うて…」


男の言葉に、さすがに呑み込みきれなかった言葉が零れた。

「娘って…吉村さん、失礼ですがおいくつですか?僕の目には、僕らと差ほど変わらないように見えるんですけど」
「今年35になります」
「35…ねぇ」

千彩の年齢が今年18になるとしても、まぁ、計算上おかしくはならない。随分と早いうちに出来た子だな、というくらいだ。

「この子、安西 千彩ゆうんちゃいますか?千を彩るって書いてチサ。せやったら俺の娘なんですわ」

アンザイ チサ

フルネームに聞き覚えはないけれど、千彩という名前には二人とも十二分に聞き覚えがある。そして晴人には、その字を説明するその言葉にも聞き覚えがあった。

「千彩の…父親?」

混乱する頭で、やっとの思いで言葉を送り出す。千彩の身の上話は恵介伝いにしか聞いていないけれど、その中に「父親」という単語は出てこなかった。それに、吉村と安西では苗字が違う。

不信感を募らせるけれど、千彩の父親だと言うその男の目は痛いくらいに真っ直ぐで。とても嘘を吐いているようには思えなかった。

「千彩、今どこに居るんですか?元気にしてますか?」

吉村の太い声が、途端に弱々しくなる。本気で心配しているだろう吉村の言葉に答えようと晴人が口を開きかけた時扉がノックされ、遠慮気味に開かれたそこから恵介が顔を出した。

「失礼します。ごめんHAL、ちょっとええ?」
「え?あぁ。ちょっと…すみません」
「あっ、どうぞどうぞ」

チラリと腕時計を見遣ると、撮影にはまだ早い時間で。不審に思いながらそこを出てパタリと扉を閉めると、恵介が不安げに顔を顰めた。

「今来てる人ってな、もしかしてちーちゃん探してるって人?」
「何でお前がそんなこと知ってんねん」
「いや、来がけに社長から電話あってな?そうゆう変な男が来るかもしれんから気ぃつけろって」
「遅いわ、阿呆めが!」

バシンと一発くれてやると、「だってお前電話出んかったんやろ!」と恵介が抗議した。

「まぁええ。お前も来い」
「はっ?何で俺!?」
「メーシーもおるから来い!」

強引に腕を引き、よろける恵介を会議室へと引き摺りこむ。そして乱暴に椅子に座らせ、晴人は立ったまま吉村をじっと見据える。
当の吉村は、何やら携帯の画面を見せながらメーシーと話し込んでいた。

「可愛いですね」
「でしょ?ほんま…目ん中に入れても痛くないくらい可愛い娘なんですわ」

覗き込むと、そこには今より随分と幼い頃の千彩の姿が映されていて。不機嫌に眉根を寄せ、晴人は乱暴に腰掛けた。

「おかえり。おや?」
「あぁ…何か連れ込まれて。あはは」
「そちらさんは?」
「これはね、うちのスタイリストです。KEI、こちらは姫のお父様」
「姫って…え?ちーちゃんの!?」
「こちらさんも千彩を知ってはるんですか?」
「ええ。話してあげたら?HAL」

にっこりと微笑むメーシーが、何だかとても憎らしくて。ギュッと眉根を寄せ直し、晴人はふーっと息を吐いた。

「HALさん、お願いしますわ。せめて今どうしとるんかだけでも…」
「ほら。意地張ってないでさ」
「別に意地張ってるわけちゃうわ」
「じゃあ何?あっ、盗られちゃうとか思ってる?」
「そんなやないって!」
「お父さん、姫のこと心配してるんだからさ」
「お父さんって…ほんまにちーちゃんのお父さんなんですか?」

恵介には、どうしても「父親」という単語がしっくりこなかった。

「お父さんいてはるのに、何でちーちゃんは独りぼっちでこっちにおったんですか?」

揃って不信感を隠そうともしない二人に、メーシーは苦笑いを零す。何てバカ正直な奴らなんだろう、と。

「ほんまに千彩の父親やったとして、今まで吉村さんはどこで何してはったんですか?貴方がいつから居らんかったんかは知りませんけど、その間に千彩に何があったか知ってはるんですか?」
「そうや!何してたんですか子供放ったらかして!ちーちゃん可哀想に変な店で働かされて…っ」

そこまで言い、恵介はハッと口を噤む。一瞬にして吉村の顔つきが変わったのが見えたのだ。
それは何も恵介だけではない。今まで穏やかに会話をしていたメーシー然り、責め立てていた晴人然り。
それぞれが息を呑み、一瞬にしてその場に緊張が走った。

「それ…ほんまですか?」

地の底を這うような低い声に、恵介は黙ってコクリと頷く。

「あいつら…ちょっと俺が居らん思うてナメた真似しよって。大事な娘傷もんにしやがって…ただで済むと思うなよぉ」

わなわなと両手を震わせる吉村に声を掛けたのは、意外にも三人の中で一番臆病だろう恵介だった。


「もしかして、あのー…お父さんやなくて、お兄様…ですか?」


その言葉に、晴人はハッと我に返る。それは吉村も同じで。完全に据わっていた目をきょとりと元に戻すと、吉村は期待に目を輝かせた。

「千彩のこと、話してくれはりますか?何やったら会わせてくれても…」
「お兄…様…」
「そうです、そうです!」
「ほな、父親ちゃいますやん」
「いや…まぁ、そうなんですけどね。実の父親やないですけど、そんなようなもんですよ?」
「それは…」
「死んだあの子の母親、俺の女やったんです。女より俺の方が千彩のこと可愛がってましたし」

死んだ。と聞こえた、晴人には。

チラリと恵介を見遣ると、複雑そうな表情をして固まっている。それを見て、余計にどうしていいかわからなくて。
いつもは冷静な晴人も、千彩のこととのなると冷静さを欠いて、途端に頭の回転が鈍くなってしまう。

そして、この三人の中で最も冷静だろうメーシーはと言うと…

「あっ、もしもーし姫?俺だよ、メーシー」

こっそりと席を立って、部屋の隅で千彩に電話をかけていた。けれど、静かな部屋の中には、小さな機械越しの千彩のとびきり元気な声が響く。

『めーしー!お仕事は?』
「ん?今仕事中なんだけどね、ちょっと姫に訊きたいことがあるんだ」
『なにー?』
「姫の名前って何てゆうの?」
『名前?ちさ。安西 千彩』
「チサって、漢字で書くとどう書く?」
『千を彩るって書くの』
「そっかー、ありがとね。王子とケイ坊、どっちに代わる?」
『はる!』

ツカツカと晴人の前に歩み寄り、「ご指名だよ」と携帯を差し出す。けれど、それに手を伸ばしたのは吉村で。

「佐野さん、俺に代わってもらえませんか?」
「うー…ん。どうする?」

奪い取るように携帯を手にし、晴人は吉村をチラリと見遣る。真っ直ぐに見つめられると、チクリと心が痛む。けれど今の晴人は、冷静さを欠いてしまっていて。
一度深呼吸をし、「待ってください」とだけ言って携帯を耳に押し当てた。

「もしもし、ちぃ」
『もしもしー、はるー?』
「ちぃ、あの…な」
『んー?あ!あのね、お洗濯ちゃんと干したよ!えらいー?』
「お…おぉ。偉い、偉い」
『へへー。今日は早く帰って来れる?一緒にご飯作れる?』
「おぉ、そのつもりなんやけどな…」

またチラリ…と、吉村を見遣る。もし本当に千彩の言う「お兄様」だったとしたら、会わせてやらないのは可哀想かもしれない。

けれど、自分は千彩を手放したくはない。

どうするべきか…と、想いは大きく揺れた。

『はるー?』
「あのな、ちぃ。ちぃに会いたいって人が今事務所に来てるんや」
『ちさに?』
「そう。今から迎えに行くから、用意して待っててくれるか?」
『うん。わかったー』

電話を切り、もう一度深呼吸をする。携帯を返そうと腕組みをして見下ろすメーシーを見上げると、そこにはもういつもの表情が戻っていた。

「俺が行ってくるよ」
「え?いや、俺が…」
「バイクの方が早いっしょ。それに、話さなきゃなんないことあるんじゃねーの?」

身を乗り出して千彩の声を聞いていただろう吉村は、嬉しそうに笑みを浮かべていて。大きな不安と共に、晴人はメーシーを送り出した。
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