Secret Lover's Night 【完全版】

旅立ちの日

翌朝、約束の時間よりも随分と早めに家を出て、メーシーとの約束通り事務所へ車を走らせる。
駐車場に到着すると、そこには両手いっぱいに荷物を抱えた恵介が待ち構えていた。

「けーちゃん!」
「何や、おっさん。遅刻もせんと珍しい」

ニヤリと笑った晴人の言葉に、恵介は唇を尖らせた。

「メーシーから電話もろてすぐ来たんや。俺にも電話くれたら良かったのに!」

やはり恵介も同じなのだろう。千彩と離れ難く、最後に手を振るその瞬間まで共に…と願っている。

「お前のことやからどうせ嗅ぎ付けて来ると思ったんや」
「メーシーが電話くれんかったらどうすんねん!」
「まぁ、その時はその時やろ」

ははは。と笑う晴人に更に不平を述べようとするも、そっと背中を押す千彩にそれを止められる。

「めーしー待ってるよ?」
「ちぃ、けーちゃん早くー言うたれ」
「けーちゃん早くー!」
「はいはーい!」

三人で笑い合いながら階段を上り、事務所の扉を開く。すると、二人の人影が見えた。

「メーシー?」
「めーしー!」
「あっ、おはよ。ほら、姫のご到着だよ」

チラリと顔を覗かせたのは、ノーメイクのマリ。久しぶりに見たな…と、半年ほど前のことが酷く懐かしく思えた。

「あれ?マリちゃんどないしたん?」
「コイツがさー、どうしても噂の姫に会いたいって言うもんだから連れて来たんだよ」
「アンタが来いって言ったんでしょ!」
「え?そうだっけ?」

恍けるメーシーの肩をバシンと叩き、マリはヒールの音を響かせる。それに驚いた千彩が、サッと晴人の後ろに身を隠した。

「はる…怖いおねーさん…」
「怖…っ!?」
「あぁ…ごめん、マリ。沙織ちゃんとリエがちょっと…な」

大きな目を更に大きく見開いたマリに晴人が苦笑いで軽く謝ると、後ろで控えていたメーシーが「あははは」と盛大に笑い声を響かせた。

「そーだよ、姫。このお姉さんすっごく怖い人だから」
「ちょっと!めいじ!」
「あーきーはーるだっつってんじゃん。ホント、麻理子はいつまで経ってもおバカさんなんだから」
「ちょっと!」
「えー?俺何か言ったっけ?」

カッと頬を紅潮させたマリが、何だか晴人にはとても新鮮で。そっと後ろに手を伸ばし、千彩の手を取って引き出した。

「ちぃ、お姉さんにご挨拶して?」
「初めまして、ちさです」
「え?あっ、初めまして」

俯く千彩の頭を撫でながら、晴人は思う。この二人もケンカばかりしていないでくっ付けばいいのに、と。

「ね?可愛いでしょ?」
「え?あぁ、うん…そうね」
「何?不服そうだけど」
「え?だって…まだ子供じゃない、この子」
「相変わらず失礼な女だね。ごめんねー、姫。さ、こっちおいで。俺がもっと可愛くしてあげる」
「うん!」

言葉の意味が上手く伝わっていないだろう千彩は、メーシーに手を引かれてご機嫌にその場を後にした。それに少し荷を軽くした恵介が続く。
ポツンとその場に取り残されたマリに、晴人は少し寄って肩を並べた。

「なぁ、マリ」
「え?何?」
「知ってた?」
「…何を?」
「彼女ってな、一番愛してる人のことを言うらしいわ」
「は?何言ってんの?」
「だから俺の彼女になりたいって強請られてな。そんな可愛いこと言われたら叶えてやらんわけにはいかんやん?ほら、俺フェミニストやから」
「…バッカじゃないの」

ニヤリと笑うと、マリは俯き加減に悪態をついた。けれど、その頬が少し赤い。

「何?」
「え?」
「いや、赤い顔してるから何かなと思って」
「べっ…別に何もない!」

プイッと顔を背け、カツカツとわざと大きめの音を立てて歩いて行くマリの後姿を見ながら思う。あんな女だったか?と。

あまり褒められた事ではないと自分でもわかっているけれど、恋人がどんな女だろうがさして興味はなかった。いちいちそんなことは考えていられない。
「自由恋愛」をモットーにやってきたのだ。合わなければ次を受け入れれば良いだけの話で、そんなことを気にする必要性は無い。

それがどうだろう。ほんの数分一緒に居るだけで、懐かしんだり、表情を新鮮に思えたり、新しい恋を応援してみたり、人物像を思い返してみたり…と、実に忙しい。どうも慣れない…と、晴人は自販機の前に立ちながら唸る。

あまり考えていても仕方が無い。と、取り敢えずコーヒー4本とオレンジジュースを買い、抱えながらメイクルームへと足を進めた。

「はるー!」
「あっ、こら!動かないで!」

ちょうど前髪を整えていた最中らしく、バッと振り返った千彩にメーシーが慌ててハサミを引いている。傷が付いていないことを確認して、メーシーもホッと安堵しているようだった。

「もうちょっとだから。ね?」
「うん!」

腰まで届きそうだった艶やかな黒髪が、バッサリと顎のラインで切り揃えられているのが見えた。何もそこまで短くせんでも…と、切ってくれと言ったくせに晴人の心情は複雑だ。

「ねぇ」

そんな晴人の腕の中からコーヒーを奪い取り、手近にあった椅子に腰掛けていたマリが立ち上がった。

「ん?」
「アンタにもそんな表情出来るんだ」
「何や…どうゆう意味や、それ」
「だって、いつだって無表情だったじゃない」
「そうか?」
「自分で気付いてなかったの?重症よ、それ」

ピンッと額を小突かれ、改めて鏡に映る自分の顔を眺めてみる。
いつもとさほど変わらない気もするのだけれど、多少は…緩んでいるかもしれない。その程度のものだ。

「ベッドの上だってそんな顔しなかったのに。何か妬けちゃう」
「いやいや。人聞きの悪い…」
「あー!おねーさんダメ!」

頬を抓るマリの手を、カットが終わって漸く自由になった千彩が駆け寄って掴む。それに驚いたマリが、そのままの状態で一歩後ずさった。


「はるはちさのやから触ったダメ!ちさのはるとなの!」


まるで「プンプン!」とでも言いそうなくらいに、千彩は頬を膨らませてマリに抗議をしている。
その姿にプッと笑い声を漏らしたのは、晴人だけではなかった。恵介もメーシーも、睨みつけられているはずのマリでさえ、千彩のあまりに可愛らしいヤキモチに頬を緩ませている。

「もー!なんで笑うのっ!」
「あはは。おいで、ちぃ」
「はるー、なんで笑ってんの?」
「んー?何でもないよ。そうやな。千彩の晴人やもんな」

更に膨らせたその頬を両手で挟むと、ぷぅーっと空気が抜ける音がした。それを聞きながら、「絶対ふ抜けた顔してるわ…」と、自覚できただけマシかもしれない。
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