Secret Lover's Night 【完全版】
Chapter 4

愛しい人

数時間の列車の旅を終え、晴人はいつもの駅に降り立つ。
上京してから数えるほどしか利用しなくなったこの駅を、この数か月のうちで何度利用したことか。
少しでも時間が取れれば、たとえ日帰りになろうとここへ向かう列車に飛び乗った。おかげで、何度か買い足した新幹線の回数券ももう残り少ない。

「さむっ…」

グッとジャケットの前を引き、今にも泣き出しそうな曇天の空を見上げる。

あの日もこんな空だった。
朝から空がぐずぐずとぐずり、確か藍色に染まる頃には泣き出していた。


懐かしみながら、カンカンと軽くブーツの音を響かせて階段を降りる。平日の昼間なので、そこに人影は少ない。慣れ親しんだ街との違いに改めて懐かしさを感じた。

高校時代、よく恵介とここから電車に乗って繁華街へと出た。遅くなっては親に叱られ、それでもまた二人で遊びに出かける。そんな毎日だった。

「ハルさん!」

タクシー乗り場に向かおうとする晴人に、黒塗りの「いかにも」な車から降りて来た人物が大きく手を振る。それに苦笑いを零し、晴人はゆっくりと進行方向を変えた。

「お久しぶりです。仕事はいいんですか?」
「何や手につかんでね。やっぱり見送ろう思うて帰ってきたんですわ。俺も一緒させてもうてもええですか?」
「はい、勿論です」
「ほな乗ってください。やんちゃな車で申し訳ないんですけど」

ははは。と、軽い調子で笑う吉村は、上下濃いグレーのスーツを着込み、しっかりとネクタイまで締めている。朝からその気だったな…と、晴人は小さな笑いを噛み殺した。

「俺も一週間ぶりなんですわ。どうも片付かへん仕事があって、ハルさんのご両親には迷惑かけっぱなしでホンマ申し訳ない…」
「大丈夫ですよ。両親もあれで結構喜んでますし」

初めて千彩を連れて帰った日こそ大反対されたけれど、今や吉村が家を空ける日は必ず晴人の実家で過ごすほど家族に溶け込んでいる。

「やっぱり…寂しいですな。今更こんなん言うんもあれですけど」

ボソリと漏らす吉村に、晴人は「そうですね」と短く答える。肩を落とす吉村に、それ以上掛ける言葉が見つからない。

「でもまぁ…もう会えんわけやないし。オヤジの我が儘聞いてもらいましたからね」

ははは。と吉村が寂しげに笑う。それが千彩を見送ったあの日の自分と重なり、晴人は言葉を詰まらせた。

自分はいくらでも時間の自由が利く仕事をしている。フリーのカメラマンほどではないけれど、所長を始め仕事仲間も惜しまず協力をしてくれた。そのおかげで、月に数回こちらへと足を運ぶことが叶った。

けれど、吉村はそうではないはずだ。

月に何度も家を空け、その殆どが二、三日では済んでいない。吉村が千彩と暮らす部屋を借りてからは、吉村と暮らすと言うよりも、晴人の実家で暮らしていると言った方がしっくりくる状態で。「早くはるのとこに帰りたい」と、何度か千彩が不平を漏らしていた。

「会いに…行ってもええやろか?」
「え?勿論ですよ。お仕事の都合がつく時にでも来てやってください。千彩も喜びますよ。勿論、僕もこっちに連れて来ますんで」

不安で曇らせていた顔にパッといつもの明るさを取り戻し、吉村は黙って大きく肯きながらハンドルを切った。
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