ナギとイザナギ
深い闇を越えると、例の東屋までやってきた。
「イザナミ、来たぞ。今日こそ決着をつけようじゃないか」
僕がいつか覗き込んだ障子窓が開き、イザナミが顔を出す。
「あたくしの攻撃受けて、難なくやられたくせに、よくいうわね、元だんな様。いいえ、吾がいろせ。あたくしの愛するお兄様」
「お兄さん、それじゃイザナミは」
イザナギさんは否定するように頭を左右へ振った。
「いや、ちがう。もうあんなのは、妹でも妻でもない。ただのゾンビ化したミイラにすぎぬ」
「まああ、ひどいわね」
高らかに大笑いを始めるイザナミ。つんざくほど、耳障りだった。
「いいわ。せっかくこの黄泉の国まで来てくれたのだもの、ご要望にはこたえなくちゃね」
奥の座敷には、さぎりが横たわっていた。なんとか助けられないものか、と思案する僕。
イザナミの隙をうかがっていた。
だが、大地の馬鹿が早まって、障子窓から飛び込もうとしたから、作戦が狂ってしまった。
「さぎりっ」
「ふん。なめたまねを」
イザナミは猛烈な勢いで大地を殴り飛ばす。だが次の瞬間、大地をつかみあげると、驚いたように叫んだ。
「スサノヲのにおい。まさか、あの子の」
「そうだ、出雲の神を祖先にもつ少年だ」
「ああ、なんてこと。痛かったでしょう、ごめんなさいねぇ。でも」
なんと、イザナミは、大地までもを奥座敷へ幽閉してしまった。
「大地」
「おいたしたら、お仕置きが必要なの。理解しなさい」
「そ、そんなの、非常識だろ、ふたりを返してよ、おばさんっ」
僕はうっかり、おばさん呼ばわりしてしまった。するとイザナミの表情が豹変して、こめかみにシワがはいった。
「おっ、おば、おば、おばばばばばば」
「いまだ、ナギ。生太刀を振るえ。ふたりを助けろ」
イザナギさんに言われたとおり、僕は太刀をイザナミに斬りつけた。
イザナミは斬りつけられた痛みに悶え、悲鳴を上げ、のたうちまわる。
「ぎゃあああっ、いたい、いたいいたいっ。おのれぇ、小僧。容赦はせぬぞぇ」
僕は、以前見た不気味な口裂け女のイザナミを思い出し、背筋を凍らせた。剣を持つ手が震えてくる。
「い、イザナギさん」
「ナギッ」
イザナミの鋭く伸びた爪は最強の武器だった、その爪の餌食にされたイザナギさんは、背中を切り裂かれ、地面に転がった。
「イザナギさんッ」
「そんなガキをかばって死に急ぐなんて、愚かよねえ。お兄様。では、これで今生の別れ。さようなら、迷わず成仏なさってね」
「イザナギさんっ、起きて、イザナギさんっ」
僕はとめどなく溢れる恐怖心と、イザナギさんを助けたい一心で抱きつき、イザナミから守りたかったんだ。
でもそのとき、僕たちの前に立ちふさがる人物の姿があった。
「さ、さぎり」
そう、それは、さぎりだった。
本人の意思はなかったようで、無意識のうちにフラリと現れた、そんな感じだった。
「さぎり、危ない」
「小娘、あんたも死にたいようだね。覚悟しなっ」
イザナミが、しゃあっ、と奇妙な音を出し、さぎりに襲い掛かろうとした刹那だった。
「おやめなさい、イザナミさま。イザナギ様は、深くあなたを愛していたではありませんか。その愛をお忘れですか。あなたを失ってからも、ずっと、あなたを愛していらしたではありませんか」
さぎりの言葉に、イザナミは動きを止めた。
「お願いです、どうか、争わず、穏便にことをお鎮めくださいますよう。この菊理媛尊(くくりひめのみこと)は、切に、切に願いまする」
「く、菊理媛、だって」
イザナミはその名前を耳にして、半狂乱しはじめた。どうなってんだろう。僕はゆっくり立ち上がると、まだ意識の戻りそうにない、さぎりの様子をうかがっていた。
「さぎり。さぎり。きみは、いったいどうしたというの」
「ナギ」
さぎり、ではない、さぎりの身体は、こちらに向き直り、話をしてくれた。
「ナギ、わたしはククリという女神です。あなたの知るサギリはわたしの生まれ変わり。だからこそ、魂が一時的に器へ入れたのです。これからわたしは、イザナミ様の魂を封印するつもりです。あなたがたを巻き込むつもりはなかったのですが、イザナギ様の想いが強すぎて、ここまで激しくなってしまったのです。ですが、もう終わりにしませんとね」
そういって、ククリ媛は微笑んだ。さぎり、じゃないんだなぁ。わかっちゃいるけど、でも、どう見ても、さぎりなんだよなぁ。神様の世界は、わけわかんないね。
「そうか、おまえは、ククリだったのか。それで、俺は、さぎりに、あんな」
言いかけて恥ずかしそうに頭をかいていた。こういう場面で何を考えているんだか。でもわかりやすくて、いいな、このひと。
「さて。イザナミ。ククリの言うとおり、これで終わりにしよう」
イザナギさんは、大地の家宝の剣を鞘からはずし、イザナミの心臓にそれを突き刺した。
イザナミは、断末魔の声を上げ、死に際、本来の心を取り戻したようで、イザナギさんに笑顔を向けていた。
絶命したイザナミを横たえると、イザナギさんは、自分のほうへ剣先を向けた。なに考えてるんだ、この男は。
僕が走るより早く、いつの間にか回復していた大地がそれを取り上げていた。
「おっさん、なにバカやってんだよ。あんたに死なれたら、さぎりが悲しむじゃないか。なんでこんなことするんだよ」
「そうですよ、イザナギ様。なぜ、命を絶つ必要があるというのです」
大地とククリ媛の言葉に、イザナギさんは剣を落とすと、地面に膝をついた。
「人の子が1日に何人も死ぬのは、イザナミが殺していたからだ。そうなった原因を作ったのは、この俺にある。だからこそ、その責任をいつかは負うべきだと、考えていた。ナギと、さぎりまで巻き込んで、俺はなんて馬鹿だったのか」
僕がイザナギさんのそばへいったのは、イザナギさんを慰めるつもりで近づいたんじゃない。悲観するなんて、許せなかったからだ。
「いままで、強気だったくせに。いつも威張ってさ、正直腹も立ったよ。こういうときだけ悲劇のヒーローぶるなんて、僕はゆるさないから」
「ナギ」
「人の子が死んでいくのは、運命です。命は失われ、また生まれます。その繰り返しだと、国常立神(くにとこたち)さまが仰せでしたでしょう」
さぎりに乗り移ったククリ媛がそういうと、イザナギさんは袖で涙を拭きながら、言ったんだ。
「ああ、そうだった。天にまします我らの神が、そういったのだったな。長く人の世で生きながらえたせいか、忘れていたよ」
こうして、この事件は、ひと段落ついたわけだけど。
イザナギさんは、あいかわらず僕の家に居候していて、父さんの酒を盗み飲んでいる。
そして、記憶の戻ったさぎりが遊びにくると、口説こうとするんだ。
ふと思ったんだけど、もしかして、菊理媛は、イザナギさんの愛人とかじゃないのかなぁ。
だから、あんなふうに、いちゃいちゃするのでは、とね。
だけどね。
それを僕に見せつけること、ないじゃないか。
神様の考えることは、まったく、わからん。
おしまい
「イザナミ、来たぞ。今日こそ決着をつけようじゃないか」
僕がいつか覗き込んだ障子窓が開き、イザナミが顔を出す。
「あたくしの攻撃受けて、難なくやられたくせに、よくいうわね、元だんな様。いいえ、吾がいろせ。あたくしの愛するお兄様」
「お兄さん、それじゃイザナミは」
イザナギさんは否定するように頭を左右へ振った。
「いや、ちがう。もうあんなのは、妹でも妻でもない。ただのゾンビ化したミイラにすぎぬ」
「まああ、ひどいわね」
高らかに大笑いを始めるイザナミ。つんざくほど、耳障りだった。
「いいわ。せっかくこの黄泉の国まで来てくれたのだもの、ご要望にはこたえなくちゃね」
奥の座敷には、さぎりが横たわっていた。なんとか助けられないものか、と思案する僕。
イザナミの隙をうかがっていた。
だが、大地の馬鹿が早まって、障子窓から飛び込もうとしたから、作戦が狂ってしまった。
「さぎりっ」
「ふん。なめたまねを」
イザナミは猛烈な勢いで大地を殴り飛ばす。だが次の瞬間、大地をつかみあげると、驚いたように叫んだ。
「スサノヲのにおい。まさか、あの子の」
「そうだ、出雲の神を祖先にもつ少年だ」
「ああ、なんてこと。痛かったでしょう、ごめんなさいねぇ。でも」
なんと、イザナミは、大地までもを奥座敷へ幽閉してしまった。
「大地」
「おいたしたら、お仕置きが必要なの。理解しなさい」
「そ、そんなの、非常識だろ、ふたりを返してよ、おばさんっ」
僕はうっかり、おばさん呼ばわりしてしまった。するとイザナミの表情が豹変して、こめかみにシワがはいった。
「おっ、おば、おば、おばばばばばば」
「いまだ、ナギ。生太刀を振るえ。ふたりを助けろ」
イザナギさんに言われたとおり、僕は太刀をイザナミに斬りつけた。
イザナミは斬りつけられた痛みに悶え、悲鳴を上げ、のたうちまわる。
「ぎゃあああっ、いたい、いたいいたいっ。おのれぇ、小僧。容赦はせぬぞぇ」
僕は、以前見た不気味な口裂け女のイザナミを思い出し、背筋を凍らせた。剣を持つ手が震えてくる。
「い、イザナギさん」
「ナギッ」
イザナミの鋭く伸びた爪は最強の武器だった、その爪の餌食にされたイザナギさんは、背中を切り裂かれ、地面に転がった。
「イザナギさんッ」
「そんなガキをかばって死に急ぐなんて、愚かよねえ。お兄様。では、これで今生の別れ。さようなら、迷わず成仏なさってね」
「イザナギさんっ、起きて、イザナギさんっ」
僕はとめどなく溢れる恐怖心と、イザナギさんを助けたい一心で抱きつき、イザナミから守りたかったんだ。
でもそのとき、僕たちの前に立ちふさがる人物の姿があった。
「さ、さぎり」
そう、それは、さぎりだった。
本人の意思はなかったようで、無意識のうちにフラリと現れた、そんな感じだった。
「さぎり、危ない」
「小娘、あんたも死にたいようだね。覚悟しなっ」
イザナミが、しゃあっ、と奇妙な音を出し、さぎりに襲い掛かろうとした刹那だった。
「おやめなさい、イザナミさま。イザナギ様は、深くあなたを愛していたではありませんか。その愛をお忘れですか。あなたを失ってからも、ずっと、あなたを愛していらしたではありませんか」
さぎりの言葉に、イザナミは動きを止めた。
「お願いです、どうか、争わず、穏便にことをお鎮めくださいますよう。この菊理媛尊(くくりひめのみこと)は、切に、切に願いまする」
「く、菊理媛、だって」
イザナミはその名前を耳にして、半狂乱しはじめた。どうなってんだろう。僕はゆっくり立ち上がると、まだ意識の戻りそうにない、さぎりの様子をうかがっていた。
「さぎり。さぎり。きみは、いったいどうしたというの」
「ナギ」
さぎり、ではない、さぎりの身体は、こちらに向き直り、話をしてくれた。
「ナギ、わたしはククリという女神です。あなたの知るサギリはわたしの生まれ変わり。だからこそ、魂が一時的に器へ入れたのです。これからわたしは、イザナミ様の魂を封印するつもりです。あなたがたを巻き込むつもりはなかったのですが、イザナギ様の想いが強すぎて、ここまで激しくなってしまったのです。ですが、もう終わりにしませんとね」
そういって、ククリ媛は微笑んだ。さぎり、じゃないんだなぁ。わかっちゃいるけど、でも、どう見ても、さぎりなんだよなぁ。神様の世界は、わけわかんないね。
「そうか、おまえは、ククリだったのか。それで、俺は、さぎりに、あんな」
言いかけて恥ずかしそうに頭をかいていた。こういう場面で何を考えているんだか。でもわかりやすくて、いいな、このひと。
「さて。イザナミ。ククリの言うとおり、これで終わりにしよう」
イザナギさんは、大地の家宝の剣を鞘からはずし、イザナミの心臓にそれを突き刺した。
イザナミは、断末魔の声を上げ、死に際、本来の心を取り戻したようで、イザナギさんに笑顔を向けていた。
絶命したイザナミを横たえると、イザナギさんは、自分のほうへ剣先を向けた。なに考えてるんだ、この男は。
僕が走るより早く、いつの間にか回復していた大地がそれを取り上げていた。
「おっさん、なにバカやってんだよ。あんたに死なれたら、さぎりが悲しむじゃないか。なんでこんなことするんだよ」
「そうですよ、イザナギ様。なぜ、命を絶つ必要があるというのです」
大地とククリ媛の言葉に、イザナギさんは剣を落とすと、地面に膝をついた。
「人の子が1日に何人も死ぬのは、イザナミが殺していたからだ。そうなった原因を作ったのは、この俺にある。だからこそ、その責任をいつかは負うべきだと、考えていた。ナギと、さぎりまで巻き込んで、俺はなんて馬鹿だったのか」
僕がイザナギさんのそばへいったのは、イザナギさんを慰めるつもりで近づいたんじゃない。悲観するなんて、許せなかったからだ。
「いままで、強気だったくせに。いつも威張ってさ、正直腹も立ったよ。こういうときだけ悲劇のヒーローぶるなんて、僕はゆるさないから」
「ナギ」
「人の子が死んでいくのは、運命です。命は失われ、また生まれます。その繰り返しだと、国常立神(くにとこたち)さまが仰せでしたでしょう」
さぎりに乗り移ったククリ媛がそういうと、イザナギさんは袖で涙を拭きながら、言ったんだ。
「ああ、そうだった。天にまします我らの神が、そういったのだったな。長く人の世で生きながらえたせいか、忘れていたよ」
こうして、この事件は、ひと段落ついたわけだけど。
イザナギさんは、あいかわらず僕の家に居候していて、父さんの酒を盗み飲んでいる。
そして、記憶の戻ったさぎりが遊びにくると、口説こうとするんだ。
ふと思ったんだけど、もしかして、菊理媛は、イザナギさんの愛人とかじゃないのかなぁ。
だから、あんなふうに、いちゃいちゃするのでは、とね。
だけどね。
それを僕に見せつけること、ないじゃないか。
神様の考えることは、まったく、わからん。
おしまい

