南の海を愛する子孫の二重奏
「しかし、安心しました」

 茫然としたままのネイラに、彼は少しだけ嬉しそうに目を細める。

「他に好きな人がいるとか、あなたのことが大嫌いだとか言われたら、さすがに私もやり方を変えなければならなかったでしょうが、仕事のことだけなら、何とでもなります」

 仕事の件なら、お母様から聞いていますので、最初から考えていました──更に畳みかけられる。

 ネイラは、茫然としながらも少しだけ分かった。

 この男は、ロアアール人とは、大きく違うのだと。

 ロアアールの男なら、ここまで早く周到な準備をし、なおかつ行動と言葉で逃げ道をふさぐようなやり方はしない。

「それに……主に一生を捧げるつもりなら、私がこちらに来るまでに、誰かにさらわれる心配もありませんしね」

 きわめつけは。

 アハトは彼女の手を取り、間近でにこりと微笑んだのだ。

 ロアアールの男では、決して浮かべられない、奔放さがにじみ出る笑みだった。

 ネイラは、騙されたことを知った。

 身近な親戚の弟分くらいに思いかけていた壁は、最初から幻想に過ぎなかったのだ。

 わきあがる情熱に抵抗しないフラ人なのだ、この男は。

「お断り…!」

「私の妻になれ。いや、私の妻にする……が、相応しい言葉ですかね」

 ネイラの抵抗の言葉は、鼻がくっつくほどに寄せられた男の言葉にかき消される。

 体温と呼吸が、否が応でも触れ合ってしまう距離。

 慣れてもいないし、決して慣れる事はないだろうその近さに、彼女はぶるりと首筋を震わせた。

「あなたの聡明さも忠義も……勘違いして怒る顔も、私のことが大嫌いになりきれていないところも、たまらなく愛しいです」

 そんな側で、アハトはフラ語を吐き散らす。

 ロアアールの女性では、聞く機会のとても少ない、砂糖をあぶった言葉だ。

 耐え切れずに、視線をずらして目だけでも逃げようとしたら──鼻の頭に口づけられた。

「……!」

 声にならない叫びをあげるネイラから、彼は静かに離れて行く。

「手紙を書きますよ。あなたは、そこから私を好きになっていけばいいんです。そして、スタファ様と一緒に私がこちらに来た時に……結婚しましょう」

 自分の鼻の頭を手で押さえたままの彼女に、アハトは静かに言う。

 求婚までは、愚かなほどに短いというのに、その後はいつ来るやもしれない気の長さだ。

 ここまで忠実に、フラとロアアールの血を再現しなくてもよさそうなものである。

「し、知りません!」

 ネイラは、ようやく逃げられるタイミングを見つけ、がくがくする膝を叱咤して立ち上がると、だっと駆け出して部屋を飛び出した。

 もはや、彼女の頭にはお茶の片づけなど、微塵も残っていない。

 その夜のネイラは、頭まで毛布をひっかぶって、忘れようと努力しながら必死に眠りに落ちようとしたのだ。

 しかし、そんなにうまくいくものでもなく、結局朝まで悶々するだけだった。

 寝不足で痛い頭と、ひどい顔を引きずりながら、ネイラは侍従頭のところへと向かう。

 とてもあの男と一緒にはいられないと、別の仕事に担当を変えてもらうためだ。

 しかし。

「おめでとう」

 すれ違った馴染みの侍女から、そんな言葉をかけられる。

 おめ、でとう?

 不穏なその言葉に、ネイラは背中に冷や汗を落とした。

 猛烈に嫌な予感がしたのだ。

 そして、その予感は的中することとなる。

 昨夜、残したままの茶道具を、あの男は朝早く、わざわざ厨房に返しに来たというのだ。

 驚いた厨房担当が事情を聞いたところ、ペラペラと噂の元をまき散らして行ったらしい。

 女性たちの間を、その噂が回るのに時間なんてさして必要ではない。

 あっという間に、ネイラはフラの補佐官の婚約者という地位に祭り上げられてしまったのである。

 わざとだ。

 絶対、わざと噂の種をまいたのだと、ネイラは確信していた。

 彼女に余計な虫が近づかないように、と。

 あっという間に、実家にまで行っていた男である。

 それくらいの策謀は、お茶の子さいさいだろう。

 しかし、この件でネイラが怒り狂って彼の部屋を訪ねたら、それもまた、相手を喜ばせるだけだ。

 ここは、我慢である。

 ネイラは、強く自分を律そうとした。

 あの男は、そう遠くなくロアアールを去る者だ。

 レイシェスの結婚も、そう急ぐ話でもなく、本当にスタファが相手に選ばれるとも限らない。

 仮にそうなったとしても、何年かはかかる話だ。

 その間に、きっとあの男はネイラのことなど忘れてしまうだろう。

 屋敷の侍女たちも、きっと噂のことなど飽きて忘れてしまう。

 そうなれば、今まで通りだ。

 ロアアール生まれのネイラは、ロアアール人として人並みの我慢を持ち得ている。

 彼女は、それで数年を乗り切ろうと思ったのだ。

 だが。

 それが、間違いであったことを知るのは、今ではない。

 まめに実家に送られてくる、フラからの手紙を見るのもまた──今ではなかった。




『終』




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