丹後の国のすばる星
弓矢比売
 昨夜は遅くまで星を眺めていたのだろう、あずみはまだ夢の中。
 島子は自分のむしぶすまをかけてやると、朝食を作り始める。
「島子、いるか」
 火をおこして湯を沸かそうとしていた島子が振り返ると、吉備津彦と見たことのない貴婦人が肩を並べて立っていた。
「皇子さま。こんな早い時間から、どうしたんです」
「この手紙のことで、ちょっと」  
 いつか吉備津彦が道具袋に入れて持っていった、亀比売の手紙のことだった。
「それが、なにか…」
「まあ聞け。これから話すことは、ここにいる人間以外には言うんじゃないぞ」
「はあ」
 吉備津彦と貴婦人弓矢比売、それに島子の3人がいろりを囲んで話していると、あずみが目を覚まして、のんきにおはようと言った。
 だが吉備津彦は軽い性格からはめずらしく、あずみに会釈をしただけで、話を続けた。
「ここは危険だから、早いこと移動したほうがええな」
「皇子さま。ぼくは逃げるなんてイヤです」
 凛とした声で島子が自分の気持ちを告げると、吉備津彦はそうなることも覚悟していた様子で言った。   
「あほ…そんなんいうとる場合じゃなかろう。ことはそれほど切羽つまっとる。この状況で逃げるのはいやじゃと? ふざけとんのか」
「たとえ相手が朝廷でも、ぼくは逃げません。温羅ではないんだし」
 島子は表情を引き締めていた。吉備津彦は説得してもムダなことが徐々にわかってきたらしく、額を押さえてうつむいた。
「そういうまっとうな意見が通ればオレだってなあ、こげに苦労はせんかったよ」
「心配に及びません。わたくしが島子様をお助けしますわ。皇子」
「弓矢…。おまえにどんな考えがあるのかオレにはわからんけど。いったい何をするつもりで」
 比売は口角を持ち上げ、吉備津彦に寄り添った。
「ねえ、なんの話? うら…ってなあに」
 寝ぼけ眼で尋ねるあずみを見て、一同は苦笑する。
「な、なによ。私変な顔でもしてる?」
 寝癖のついた長い髪を、わしわしとかき乱した。
「あずみにも話しておいたほうがいいかな」
 島子はあずみを隣に座らせて、吉備津彦の顔を見た。
「オレはかまわんよ。島子がかまわんならそうすりゃええ」
「それじゃこれから話すこと、よく聞いてくれる? あずみ」
「え、ええ」
 島子があずみの左手を自分の両手で強く握り締める。
「ぼくは今、朝廷にいのちを狙われているらしいんだ」
「どうして」
「温羅という一族がいてそいつが島子だと疑いを持ってしまったんだな、その勅命らしい。勅命ってのは天皇の命令。だが本質的に父上がやっているわけじゃない…ほかの役人さ」
 吉備津彦は肩を揺らし、大きく息をついた。
「それじゃ、これからどうするの。逃げるの」
「オレがそれをすすめても、この頑固者が言うことを聞いてくれない。あずみから逃げるように言ってくれ」
「イヤだと言っている。ぼくは絶対逃げたくない。このことをただ運命だからと、背負わされた宿命だからと、なにかのせいにして、逃げるわけには…」
「島子さん…」
 あずみの手を握り締める島子の手に力が加わる。
「気持ちはわかる。オレも似たようなこと経験したから、知ってるよ…。亀比売のときは病気でしかたがなかったんだ」
「ですが、父は…父もやはり温羅だと疑われて処刑されたのでしょう? これもなにかの因縁ですか、皇子さま…」
「それ…は」
 吉備津彦はそれ以上強くは言えずに口ごもる。
 あずみは島子の手を握り返した、そうすることしか出来ない自分がもどかしいようにして。 
 
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