EVER BLUE

3トップ+マリの仕事風景

モデルは脱いでこそ芸術

いつ頃からかそう思うようになった晴人は、目の前の難関をどう攻略するか思案し、薄っすらと笑みを零した。

「うわっ…悪い顔したな、今」
「ん?そうか?」
「そうね。悪い顔だわ」
「うん、悪い顔だ」

素早くツッコんだのは、他でもない恵介。それに続いたのは、同じように写真を覗き込んでいたマリとメーシーだ。

仕事終りに所長である織部から手渡された一枚の大判写真を覗き込み、四人は今仕事の相談中である。

「どうする?ハル」
「んー」
「難しいんじゃない?この子、どこかのお嬢様だって聞いたわよ」
「そうなの?てか、何で麻理子がそんなこと知ってるの?」
「ん?だって所長がそう言ってたもの。だから晴にやらせるって」
「ふぅん。お嬢様…か」

マリの言葉に、今度は目に見えてわかるほど晴人の口角が上がった。

「やる気?王子」
「勿論やろ。綺麗な顔しとるやないか」
「何度かメイクしてるから綺麗なのは知ってるけど…難しいんじゃない?」
「ハッ!俺の手にかかれば一瞬や」

何を根拠に…と肩を竦めるメーシーに、今度はマリがニヤリと口角を上げる。

「やるわよ、晴なら」
「麻理子まで…」
「晴はこのアタシを脱がせた男よ?」

うふふっと笑うマリに、メーシーは「そうだね」と些か不満げに答えてポンッと晴人の肩を叩いた。

「まぁ…頑張って」
「一瞬や言うてるやろ?ここの事務所のモデル、纏めて傅かしたるから見とけって」
「そない上手くいったらええけどなぁ」
「何回同じこと言わすんや、この阿呆めが!指名の嵐になるから覚悟しとけよ!」

晴人の自信は、同じチームで仕事をするメーシーにとっても恵介にとっても自信となる。それを知っているマリは、「明日が楽しみねー」と笑いながらその写真に写る人物を爪先で一撫でした。



翌日、朝から気合十分の晴人とそれに気圧されて一歩下がって控えているメーシーは、「やっぱりか…」と揃ってため息をついた。

「おたくのお友達、何とかなんないの?」
「何やろなー、あいつは。来たら一発どついたんねん」
「たまには荒治療も必要だね」

普段ならば「まぁまぁ」と止めるメーシーも、今日ばかりは全面協力の意思を示した。

学生時代から遅刻癖のある恵介は、大事な日に限ってこうして遅刻してくる。
後五分、後五分…と思っているうちに、恵介よりも先にモデルが到着してしまうことなど日常茶飯事だ。

「ハル、MEIJI、ケイは来たか?」

織部の言葉に、二人は揃って首を横に振る。
もう言葉を出すのさえ面倒くさい。そんな状態だということを、引き攣ったメーシーの表情が物語っていた。

「スタイリスト変えます?」
「珍しいこと言うじゃないか、ハル」
「今日はねぇ、俺の勝負の日なんですわ」
「だからケイじゃないとダメなんじゃないのか?」

二人がどれだけ信頼し合っているかを知っている織部は、意地悪そうな笑みを浮かべながらポンッと二人の肩を叩く。

「もう少し待ってやれ」
「もうモデル来るんちゃいます?」
「少しくらい待たせても文句は言わないだろ。何せお前を指名したのはあちら様だからな」

色々と悪い評判も立っているけれど、晴人のカメラの腕はいくつもの賞を受賞するほどに有名で。この仕事をしているからには、一度はハルに撮ってもらいたい!と、そうモデルに言わしめるほどだった。

「てか、所長」
「何だ?」
「俺が今日このモデル脱がせたら、この先ここの事務所のモデル全部青山でもらえるんですよね?」
「その約束だからな」
「ほな、スケジュールの調整覚悟しといてくださいね」

ニヤリと笑う晴人と、「やれやれ…」と肩を竦めるメーシー。そんな二人の後ろから、コッソリと遅刻魔が現れた。

「…すいません」

気配を感じて振り向いた二人に睨まれ、恵介は小さく声を押し出す。一歩、また一歩と近付いて来る不穏な空気に身震いするも、その場から逃げ出すことは不可能だと知っている。

「おーまーえーはー!」
「ゴメン!ゴメンって!」
「許さんっ!今度やったらスタイリスト変えるからなっ!」
「いやっ!それだけは勘弁してやー」

チェンジだ!と言われれば、さすがにいつでも陽気な恵介も涙目になってくる。
それを確認した上で、今度はメーシーが怒りを爆発させた。

「どうせ脱ぐからさ、君の仕事はあってないようなもんなんだけど。ホントなら王子と俺で出来ちゃう仕事なんだけどね」
「そんなん言わんといてや、メーシー」
「言われたくないなら、言われたくないなりの態度をとろうか?」
「すいません。ホンマごめんなさい」

モデルに対してはいつでも「フェミニスト」全開のメーシーだけれど、ことアーティスト同士になればそれは違ってくる。別人か!?と疑いたくなるような口調ならばまだしも、いつものご丁寧な口調で怒りをぶつけられてしまえば、感じるものは「恐怖」以外の何物でもない。

「ケンカは後にしろ。モデルが来たぞ」

織部の言葉に晴人とメーシーはサッと表情を戻すも、叱られていた側の恵介はそう簡単にはいかなくて。ゴシゴシと袖口で目を擦り、零れそうになっていた涙だけは取り敢えず隠した。

「おはようございます。初めまして。SSプロモーションのリエです。本日はよろしくお願いします」
「おはようさん。指名してもろたハルや。よろしくな」
「おはようございます。ヘアメイクを担当する佐野です。どうぞよろしく」
「スタイリストのケイです。よろしくー」

紺地に白のチェックが入ったツイードジャケットに、揃いのタイトスカート。それにブーツではなくパンプスを合わせた「お嬢様ルック」のリエは、桜色の唇をゆっくりと動かしてにっこりと笑う。

「楽しみにしてたんです、私」
「ん?」
「ハルさんにお会いしたかった」

その言葉に、晴人だけではなくその場にいた全員が「やれる!」と確信した。けれど、それを悟られてはいけない。何と言っても、リエ自身は「ファッションモデル」としてここへ来たのだから。

「どう?会うてみて」
「想像していたより素敵で、正直驚いてます」
「そっか。ほな、終わる頃には俺に夢中やな」

ニヤリ、と晴人の口角が上がる。
それを合図に、アーティスト達が動き始めた。晴人の計ったタイミングを、みすみす逃すわけにはいかない。

「じゃあリエちゃん、メイクに入ろうか。俺がうんと綺麗にしてあげる」

フェミニストの仮面を被ったメーシーが、ふふっといつもの笑い声と共に手を差し出す。それにポッと頬を染めたリエは、メーシーの本当の恐ろしさを知らない。

こうして騙されてくれるモデルがいからこそ、メーシーの懐は潤うのだ。


「そのアーティスト、うちのMARIの「ほぼ」専属なんやで。自分得したな。俺らがMARIより綺麗にしたるわ」


それは、モデルにとってはこの上ない誘惑の言葉で。
JAGの「MARI」と言えば、モデルの中でも憧れの存在。その「MARI」を上回らせてくれると言うのだから、リエが首を縦に振らないはずがなかった。

「よろしくお願いします」

嬉しそうな声と、軽やかな足取り。そんなリエの後ろ姿を見つめながら、晴人は「今日も勝ちやな」と小さく呟いた。



メイクルームから姿を現した時こそ緊張の色が覗えたけれど、いざ撮影が始まってしまえばそれは晴人の空気に呑まれる。いつ見ても見事だ…と、仕事を終えたメーシーは、ゆっくりと今後の成り行きを観察していた。

それは恵介とて同じこと。
せっかく着させたのになぁ…と思いながらも、来るべく瞬間が楽しみでならない。


「よし、これで終わりや。脱いでええぞ」


晴人の言葉に、いよいよか…と二人が息を呑む。

「ハルさん、ありがとうございました」
「ん?」
「え?終わりなんですよね?」

ペコリと頭を下げたリエだけれど、晴人に首を傾げられ聞き返す。

「終わりって言いませんでした?」
「言うたよ」
「ですよね。ありがとうございました」
「いや、撮影はまだ終わってへんで」

ニヤリと口角を上げた晴人が、一歩、また一歩とゆっくりとリエに歩み寄る。それを合図に、メーシーと恵介以外のスタッフが続々とスタジオから姿を消した。

「お手並み拝見、だね」
「勝ちやで、晴人の」

晴人の自信は、二人にとっても自信。言葉に差はあれど、二人共「勝ち」を信じて疑わない。

「ハル…さん?」

ガラリと変わってしまったスタジオの空気に、リエは戸惑うばかりで。伸びて来る手を避けることも出来ず、ただただ流れのままに晴人に頬を撫ぜられた。


「俺は、一番綺麗なお前の姿を撮りたい」


そのセリフは、晴人がモデルを落とす時に使う常套句で。
あのプライドの塊とも言えるべきマリをも落としたセリフなのだから、これで落ちないモデルはいない。アーティスト同士の間では、そう言われていた。

「あの…」
「女が一番綺麗になる瞬間知ってるか?」
「えっと…」
「好きな男の前で脱ぐ瞬間や。俺はそれが撮りたい。今日受けた仕事とは別に」

ゆるりと動く指先が、ぷっくりとグロスを盛られた唇をゆっくりと這う。それだけで快感だ。と、いつか他のモデルが言っていたことをリエはふと思い出した。

「ヌード…ってこと…ですか?」
「ちゃんと俺の話聞いてた?」
「えっと…」
「お前の一番綺麗な姿が撮りたい」

じっと見つめられるだけで、全身から力が抜けていくようで。
へにゃりとへたり込んだリエに手を差し出した晴人は、射抜くように見つめながらその瞬間を待っていた。

「ハルさん、あの…」
「ん?」
「MARIさんと…付き合ってるんでしょう?」
「さぁな」
「それなら私…」
「俺は「さぁな」って答えたんやで。否定も肯定もしとらへん」

その言葉に、リエはキュッと唇を噛んで晴人の手を取った。

「今夜…飲みに行きませんか?」
「ええよ」

これが交渉成立の合図。
その合図と同時に、メーシーと恵介もスタジオを後にした。ここからは二人だけの世界だ。


「お前らが出てきたってことは、落ちたか」


扉の前で今か今かと待ち構えていた織部は、喜びを隠せない。
大手の事務所には大手の事務所なりの、避けられない問題がある。それが勢力の分散だ。

晴人やメーシー、恵介などのその業界でも一・二を争うほどの腕を持つアーティストを抱える青山事務所だけれど、渋谷や新宿など大手のモデル事務所と契約を結んでいる事務所と比べれば、まだまだ顧客数が足りない。個人の指名は群を抜いてあるのだけれど、それだけでは事務所自体が潤わない。そこで織部が考えついたのが、晴人のアーティスト性を全面に押し出す方針だった。

勿論晴人は、カメラマンとしての腕も立つ。けれど、それ以上にアーティスティックな面が群を抜いて秀でているのだ。モデルを「芸術品」として捉え、最上級の形で作品を作り出す。多少素行に問題はあれど、老若男女問わず魅了されるほどの作品を作り出す。しかも、必ず。

そんな晴人に惚れて脱ぐモデルを事務所ごと抱き込めば、当然青山事務所としても潤うというもので。この方針を打ち出してから、事務所の顧客数と実績が格段に上がったのは事実だ。


「俺の相棒は「あの」ハルですよ?所長」
「やれやれ。これでまた帰りが遅くなる日が続くよ」


自慢げにふふんと鼻を鳴らす恵介と、フルフルと首を振りながらも嬉しそうなメーシー。共に晴人を認め、憧れ、信頼する仲間だ。

「さーて。スケジュール調整するかな」
「頑張ってー、所長!」
「頑張ってーじゃないぞ。お前は今から罰として衣装整理!」
「えー!」
「遅刻したお前が悪い!クビにならないのはハルのおかげだからな。感謝しろ!」

ガックリと肩を落とした恵介を見送りながら笑うメーシーに、織部は今更…な質問を投げかけた。

「佐野、お前もチームか?」
「勿論」
「じゃあ、MARIの説得は任せたぞ?さすがに調整してもらわないとな」
「わかってますよ」

にっこりと笑いながらメーシーは思った。結局いつも一番苦労するのは俺なんだよね、と。
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