私を抱いてください
「本当に……いい人、なんです。ずっと私のこと好きだって言ってくれていて……きっと彼なら、私も」


 涙があふれそうになり、言いよどむ。


「先生!!」


 その胸に飛び込んでも、彼は自ら私にふれようとはしない。


「私、もうここには来ません。今日で最後にします。だから……」


 キスをして。
 体にふれて。
 私を抱いて。
 私の心を奪ったように、私の全て奪い去って。

 ピアノにふれるよう私にふれて、ピアノを奏でるように私を奏でて――私を啼かせて。
 どんなカナリアよりも綺麗な声で啼いてみせるから。
 きっと、奥さんよりも綺麗な声で。

 そしたら終わりに出来る。
 思い出だけを胸に、終わりに出来るから。


「思い出を、ください」


 彼の腕が私を抱きしめた。
 強く強く、抱きしめられる。


「私を抱いてください……」


 貪るような口づけに翻弄され、私は堅い床の上に横たえられる。
 私をまさぐる彼の動きに従って、私は愛の歌を啼く。

 指輪をしたまま、私を抱く。

 私が愛したあなたは思い出なっていく。
 私が愛した彼が、死んでいく。

 決して揺るがない指輪の高潔。
 その高潔さごと私はあなたを愛した。
 その指輪を穢すなら、あなたは私が愛したあなたじゃない。

 昔読んだ絵本のよう。
 体を貫かれながら愛の歌を啼き、赤い薔薇の花を咲かせて、それでも夜明けには死んでしまう。
 この恋を殺してしまう。
 私が愛した高潔さを穢してしまう。

 それでも、私は――
 それだからこそ、私は――

 ただひと時、重なる心と体。
 それを求めたのに……
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