マユツバ

 北は寒いから準備しなきゃ、と葛の葉に手を引かれている。部屋を退出するわたし達に四方から言葉は無い。

「あいつら今はあんなだけど、そのうちマユ様に平伏すわよ」

 わたしは葛の葉を見上げる。

「え? 信じられない?」
「はい、全く。わたし、九尾のキツネになんてなれないと思います」

 廊下は丁寧に磨き上げられ、一つの曇りもない。ひたすら真っ直ぐ、何処までも続いていくみたいで、これから途方の無い道を歩かされる事を暗示している。
 足を止めた葛の葉が頬を撫でてきた。そんな風に優しくされたら、惨めで涙が出てきそうになる。

「姫様やお母様を助けたいんでしょ? だったら強くならなきゃ」
「九尾にならなきゃ、二人を助けられないんでしょうか? あの鴉の男の主と結婚したらいいんじゃないの?」

 わたしは思い出していたのだ。ママとお祖母ちゃんを救う、一番簡単であろう方法を。

「それじゃあ、好いてもない奴にマユ様は嫁ぎたいの?」

 当たり前の如く言う葛の葉に腹が立つ。わたしがキツネの掟、17才の掟を知らないと思っているんだろう。自由に恋愛し、好きな相手と結ばれる事が出来るなら、決まった年齢で嫁がなきゃいけないのはおかしい。

「だったら、なんで好きな相手と結ばれたママは、こんな酷い扱いを受けなきゃいけないの!」

 葛の葉の手を振り払う。四方等が居る部屋からそう離れてないから、わたしの声は聞こえてしまうかもしれない。まあ、聞こえたとしても彼等には響かないだろうけど。

「半妖のわたしがバカにされるのは仕方ない! でも、ママやイズナ、お祖母ちゃんまで悪く言わないで!」

 八つ当たりなのに葛の葉は正面で受け、
わたしの方が怯む。一歩引いた足が何かを踏む。

「バカにされたり、悪く言われるのは弱いから」

 足音を立てず、わたしの後ろに立っていたのは玄武。踏んだのは玄武の足。

「マユユ、バカにされたり、悪く言われたくなければ強くなる」
「……強くって」

 葛の葉にも言われたけれど、強くなる、わたしにはその方法がよく分からないんだ。もちろん、メンタルや身体的に強くならなきゃって言われているのは伝わっている。

「半妖だから、掟を破ったからって、ずっと後ろ指さされていくの?」

 玄武の人差し指に背骨をなぞられ、猫背を正す。

「じゃあ、ど、どうしたら強くなれるの?」
「耳」
「耳?」

 緑色のキツネ耳をぴくぴく動かし、同じようにしてみろと促されるが、わたしのキツネ耳は動かない。作り物、紛い物、わたしと一緒で役立たず。
 俯きしなだれるキツネ耳に玄武は囁く。

「マユユにはあげたキツネ耳と人の耳、四つ付いてる。だからマユユは沢山の声が拾えるはず」
「沢山の声?」
「そう」

 玄武は全てを言い終えたと、葛の葉へ視線を流す。
 葛の葉は我に返って感嘆する。私も言われた意味がやっと追い付き、四つの耳が熱くなった。

「あらー、玄武の坊っちゃん、知らない間に立派な事を言うようになったねぇ。良い狐(こ)、良い狐」

 がしがし撫でる葛の葉。髪を崩され抵抗するかと思いきや、玄武も満足気に目を細めている。

「マユ様、覚えときな。玄武は撫でられるのが好きなんだ」

 葛の葉が背伸びをしてる撫でる丈を、わたしが撫でるには無理がある。いや、無理と言うより、半妖が四方のキツネを撫でたら問題になってしまう。

 ――半妖。自分で言っておきながら、やっぱり気持ちはいいもんじゃない。玄武に貰ったもふもふしたキツネ耳に触れる。

「葛の葉さん、どうしたら強くなれるのかな?」
「マユ様! やる気になってくれたんだね!」
「やる気っていうか。わたし、ママやお祖母ちゃん、それにイズナも助けたい」
「うん、うん。そう言ってくれると思ってたよ! さぁ、こっちにおいで!」

 玄武を撫でるのを止め、葛の葉は手前の襖を開けた。手招きされ、中を覗いてみると、部屋一杯に着物が掛けられている。

「す、凄い!」 
「姫様の衣装部屋だよ。姫様は着道楽ってわけじゃないけど、あの美貌だろう? 色々と着せたくなっちまうのが男心さ」
「全部貢ぎ物なの?」

 着物だけでなく、簪や足袋などの小物もある。目に飛び込んでくるもの、全部が輝く。どれもお祖母ちゃんの為に選ばれた品に見えるのは、贈った相手のセンスもいいからだろう。

「あ、これいい」

 玄武もやってきて、掛けられず積まれていた一枚へ手を伸ばし、わたしの前で広げた。

「……それ、何の柄ですか? ネジ?」

 他の着物に比べ、玄武が広げたものはテイストが明らかに異なる。ネジやボルト、釘などが生地の上で散らばっているのだ。華やかな雰囲気を遮断され、なんだか帳を下ろされた気分になってくる。
 
「マユユ、これ着なよ!」
「えぇ!」
「似合う、きっと似合う」

 嫌、絶対に嫌。玄武の提案にすぐさま拒否反応が起き、正直なわたしの左手が、部屋に入った時から目を付けていた赤い着物を寄せる。

「そ、それも素敵なんですが、この着物がいいなぁー、なんて」

 自分なりに言葉を選んだつもりだけど、否定は葛の葉から飛んで来る。

「マユ様、その着物はダメ。赤い着物は九尾の印でもあって、皆も遠慮しているのよ。あの紅蓮の髪を持つ朱雀でさえ、赤い着物は纏っていないし」

 わたしから着物を取り上げ、葛の葉が見繕う。赤い着物だけでなく、露出が多そうなものも避けられていた。

「あと、四方のキツネの色も避けた方がいいわね。緑、朱色、青に白……」

 そうして選別されるうち、残る衣装は限られてくる。すると玄武がチャンスとみてか、もう一度翳してきた。わたしはこの着物だけは勘弁して欲しいと葛の葉へ祈りを込める。

「玄武、それは祝言の時までとっておいでよ。ねぇマユ様、こちらはいかが? 」

 祝言?フォローの単語に一部引っ掛かるものの、差し出された着物に意識を奪われた。

「可愛い!」
「だろう? 姫様には幼過ぎるけど、マユ様なら丁度いい」

 細かい花弁が刺繍された桃色の着物は、確かにお祖母ちゃんじゃ子供っぽい。幼女の姿をしている時も九尾の貫禄はあるし、似合わないと思う。

「これにする! わたし、これが着たいです。いいですか?」
「もちろんさ。じゃあ、着付けてあげるよ。玄武の坊っちゃんは出てった、出てった」

 しっし、と追い払われる玄武。特に文句を言うでなく、あのネジの着物だけは持ち出していた。
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