マユツバ

 外に出て、改めて此処がきつねの里と痛感する。太陽の無い空、覚えの無い景色を行き交うキツネ達。
 玄武から貰ったキツネ耳効果か、辺りをきょろきょろしても気に止められない。傾けた首を葛の葉が優しく受け止めた。

「なんだか鴉の街とは違って、時代劇みたい」
「そんなに古めかしいかい? まぁ、人の世は賑やかだからねぇ」

 言った側から怒声が響き渡る――この声、白虎だ。わたしは葛の葉を無言で伺う。キツネの里も充分、賑やかじゃないかって。

「おい! マユ!」

 呼ばれ振り返ると、白虎が玄武を引きずっている。玄武は襟を持たれながらも何か製作しているらしく、手元で火花が散っていた。

「何ですか、白虎様」
「は? 何ですか、じゃねぇだろ! お前、玄武の嫁になるのか?」
「はぁ?」

 反射的に言い返してしまった。慌てて言い直そうとしたけれど、白虎に突き飛ばされるのが先だった。しりもちをつき、思う。今日で何回目だろう。

「半妖の癖に、そういう所はぬかりないんだなぁ? あぁ?」

 軽蔑の視線が降り注ぐ。

「俺は認めないからな。こいつが幾ら女に縁が無いからって、半妖はないだろう? 半妖は! こんな奴をめとるくらいなら、そこらを歩いてる女キツネの方がマシだぜ!」

 名指しされた、そこらを歩いてる女キツネ達が足を止める。彼女等は白虎の姿を認識すると黄色い悲鳴を上げた。

 わたしの耳が正常なら、格好いい、素敵、お目にかかれて光栄などと言っており、どんな顔してそんな事を言うのか確かめたい。

「何、あの娘。白虎様に言い寄って、突っ返されたのかしら?」
「でもここって、それなりの身分がなければ出入りできない場所よね?」

 で、確かめるつもりが確かめられる。その不躾な視線と向き合う為にも、とにかく立ち上がっておこう。

「おい! 俺様に尻を向けるとは上等だ」
「え?」

 彼女等の出方を探りつつ、お尻の埃を払っていたら――今度は蹴られた。この衝撃がわたしのスイッチを押す。

「白虎!」

 葛の葉が慌てて止めに入る。ちなみに掴んでいるのはわたしの腕だ。

「葛の葉さん、離して下さい! この暴力キツネったら人を突き飛ばしたり、お尻を蹴ったり! もう許せない!」
「何だとぉ? お前がデカイ尻をこっちに向けてきたから、蹴ってくださいって意味だと思ったんだよ!」

 白虎は腕を組みして鼻を鳴らす。憎たらしい表情を引っ掻きたくて、葛の葉から逃れた手を振り上げた。

「確かに半妖に情けなど必要ないけど、女を蹴るのは品性に欠けるんじゃない? ま、君達は品性なんて最初から持ち合わせてないかもしれないけど」

 門の向こうから、より大きな黄色い悲鳴が上がる。わたしの手を受け止めたのは朱雀で、強い力で叩き落とされる。

「君が玄武に嫁ごうと四方と対等にはなれないんだってば。君はボク等に傷つけられる事があっても、その逆はありえない」
「だから! どうしてわたしが玄武様に嫁ぐって話になってるんですか?」

 じんじんする指先で玄武を示す。

「んあ?」
「……よく、この状況で眠れましたね」
「退屈だから」

 微睡む目はくっつきそうに瞬く。長い前髪がカーテンみたい。どうやら先ほど作っていたのはハンドルで、玄武はそれを差し出してくる。

「じゃ、そういうことで」

 一同、目を閉じた玄武が指す方向をみやる。

「何、何、皆様がこちらを見てるけど」

 よりそわそわする女キツネ達に比べ、わたしは別角度でわくわくする。

「これって自転車のハンドルだ!」

 さっそく駆け寄り、ハンドルを差し込む。真新しいボディーを確認。傷や凹みもない。跨がろうと足を上げると裾が邪魔をし、不恰好を女キツネに笑われる。

「はしたないわね。女がカラクリを扱うなんて、お園くんの知り合い?」
「お園くん?」

 捲れた裾を直すと、彼女等の臭いに顔を背けたくなった。

「これこれ、マユ様に何て口をきくんだい? マユ様は九尾の血を引くお方だよ」

 一方、葛の葉は裾を華麗に捌き、わたしの隣へ並ぶ。九尾の言葉を出された女キツネ等が疑いの眼差しを向けてくるが、塗りたくった唇は甘えた声で四方へ説明を求めた。

「どういう事ですの? 次の九尾は四方のキツネ様より選ばれるってお話だったんじゃないですか?」
「おうおう、そうだぜ! 俺様が次期九尾だってば」
「あー毎回毎回、うるさいね。白虎が九尾になるのは勝手だけど、君が九尾になってもボクは従わないからね。ボクはもう自由でありたいんだ」

 朱雀はお決まりの台詞に肩を竦めつつ、女キツネ達の側へ寄る。馴れた手付きで腰を引き寄せ、微笑む。彼女等の頬が次々赤く染まる。
 さて、こんな自由に振る舞う朱雀は一体何に縛られていると言うのだろう。謎だ、そしてこんな謎は解かない方がいい。

「四方のキツネは忠誠を誓う際、魂の一部を捧げるんだよ。魂の捧げるって事は九尾に命を預けているのと同じ」

 謎のままで良いと思ってるのに、葛の葉が解説してくれた。

「じゃあ、忠誠を誓わなきゃ良かったんじゃない?」
「でも忠誠を誓わなければ、四方のキツネにはなれないからね」
「だったら、四方のキツネにならなきゃ……」

 言い掛けて止める。四方のキツネって、あんな風にちやほやされる立場なんだ。この世界でのステータスなのだ。野心があれば四方のキツネにならない手はないという事。

 女キツネ等に囲まれた朱雀がわたしを見る。

「君もどう? 団子を御馳走してあげようか?」
「いえ、結構です」

 即答し、ハンドルを握り直す。

「マユ様、そのカラクリをご存知なんですか?」
「うん、自転車。人の世界の乗り物です」
「ふーん、玄武の坊っちゃんってば粋な贈り物するじゃん。マユ様がこっちでも寂しくないようにしたんだろう?」
「違うよ」

 玄武は欠伸を噛んで、後ろに座ってきた。いきなりの重みにわたしはバランスを取れず、玄武を乗せたまま自転車を倒してしまう。

「無様だね。でも、お似合いだよ」

 朱雀が吐き捨て、女キツネ達と団子を食べに向かう。

「ほんと、付き合ってらんないぜ」

 白虎は仰向けで倒れたわたし達を飛び越えて行った。
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