桜縁
第一章




昼間はしんと静まり返り、夜になると男女の営みの場となり、賑やかになる花街。


そんな花街のとある店に、【月】(ツキ)という名の見習い遊女がいた。


彼女は上の姐様達に付きながら、物心がついた時から、芸妓となる修練を積んでいた。


だからか、彼女は自分の両親の顔を知らないし、故郷と呼べる地もない。


普通の女なら悲しいとか、寂しいとか思ったりするのだろうが、月はそんなこと一度も思ったことはなかった。


ここにいて、立派な芸妓となり、今まで助けてくれた【大久保】様にお仕え出来れば良いと考えていたのだ。


この日も、上の姐様【綾子】に付いて、大久保のいる座敷へと向かっていた。



「大久保様、綾子どす。入ってもよろしゅうございましょうか?」


「ああ、入って来い。」


障子が開けられ、綾子に続いて部屋に入る月。


「ふん、連れて来たか。元気だったか【月】?」


「はい。大久保様もお元気そうで何よりです。」


「気づかいの言葉は出ても、くるわ言葉はまだ出てこないみたいだな?」


「……!」


「まあ、その方がお前らしくていい。【史朗】は元気にしてるのか?」


史朗というのは、月の義理の兄のことである。


月と一緒に武芸を大久保から、習ったことがあり、今はこの店の護衛をしていた。


「はい、元気にしております。」


「ならいい。お前達兄弟には、私がいなくてはならんからな。拾った子供達が元気に育つとは悪いものではない。」


「ありがとうございます。」


「大久保様、せっかくいらしたのですから、他の芸妓も呼び、くつろいで行かれてはいかかですか?」


「いや、いい。私は忙しいからな。そんなことをしている暇はない。」


立ち上がり、部屋を出て行こうとする大久保。


「……綾子。」


ふと、大久保が足を止める。


「月は、月はいくつになった?」


「十六になりますが……。」


「そうか……、引き続き、月を頼むぞ。」


それだけを言って大久保は出て行った。









それから、月は仕事へと戻り、慣れた手つきで、賑やかになっている座敷を行ったり来たりしていた。


「………どうぞ、おくつろぎ下さいませ。」


中へお辞儀をして襖を閉め、次の座敷へと向かう。


「……史朗兄さん!!」


廊下を歩いて行く史朗を見つけ、駆け寄る月。


「月か…。どうした?」

< 1 / 201 >

この作品をシェア

pagetop