【B】星のない夜 ~戻らない恋~

29.利用価値 - 葵桜秋 -


三月上旬、ちょうど一年前の春にプロジェクトメンバーに選ばれて
怜皇さまと一緒に行動を出来るようになって甘い時間を重ねて。


誰にも内緒でずっと過ごし続けていた私の時間に、
戦慄が走る。



「近衛さん、ちょっと宜しくて?
 怜皇様の会長夫人が貴方に逢いたいんですって。
 粗相のないようにね」




突然の呼び出しに、奈都が心配そうに私を見つめる。


「大丈夫、奈都。
 ちょっと行ってくるわ」


夏にそう言って私は、自分を奮い立たせるように気を貼って
その場所へと乗り込んだ。


おどおどしていては足元を巣食われる。
凛としてやり過ごすのよ、葵桜秋。


呪文のように自分に言い聞かせて、応接室の扉を開いた。


「失礼します。近衛です」

「お入りなさい」



奥さま専用の付き人なのか、きっちりとスーツを着こなした人が
ドアを開けて私を中へと招きいれる。



「お呼び出ししてごめんなさいね。
 確か……」

「近衛葵桜秋さまです。奥さま」

「そっそう、近衛さんだったわね。
瑠璃垣の妻です」

「はい、存じ上げています。社長夫人」

「そう、ならば話が早いわ。
 そちらへお掛けなさい」



奥さまにすすめられた座席に私がゆっくりと腰をおろすと、
何事もなかったように、話を進め出した。




「近衛さん、私貴方の実力を買ってますのよ。
 ですから貴方には、もう一つ私の計画に力を貸していただけたらと思っていますの。

 貴方も知ってると思いますが、今、息子の怜皇は都城家の御令嬢と婚約を発表しました。
 でも私は正直、反対ですの。

 怜皇には、貴方のように実力のある方が必要だわ。
 私の思い通りに動いてくれたら、貴方の生活は私が保証しましょう。

 どうかしら?
 貴方の意が私に添わないのであれば、交渉は決裂。
 今この瞬間を持って、辞表を出していただく形になるわね」



穏やかな口調のまま、私の前にスーっと差し出される茶封筒。





引き寄せて中を確認するとそこには葵桜秋として過ごした、
怜皇様とのホテル逢瀬の写真が幾つもプリントされていた。



「奥さま……」



思わぬ伏兵に、唇をキっと噛みしめる。
その瞬間、口の中に鉄臭さが広がる。



「悪い取引ではないでしょ?
 私は貴方の行為を黙認すると言ってますの。
 良い返事を待っていますわ。

 貴方に断ることは出来ないでしょうけど……」



そう言って奥様は、俯く私を部屋に残して颯爽と応接室から出て行った。


対等に渡り合いたいと思ったのに完敗だった……。
悔しさに何度も机を両手に握り拳を作ってバンバンと叩きつける。



そして私は……自分で一つの道を選択する。



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