ポケットに婚約指輪
「ほら、仕事」
「もう! 分かってます」
すっかり仕事モードになった司さんに追い立てられて、再び重いドアを開けフロアに滑り出る。
「……菫?」
「え?」
顔を上げると、物音にふりむいたのか、首だけをこちらに向けている刈谷先輩の姿がある。
私と目が合い、さらに視線は後ろにいる司さんに向けられる。
「里中くん……」
刈谷先輩が手に持っていた書類が落ちた。
私はそれを見ながら、自分が崖から突き落とされたような気持ちになる。
「やあ、刈谷さん」
「どうして? 何で二人でそんなところから」
「ちょっと話してただけだよ。ね、塚本さん」
「は、……は、い」
司さんは平然といい、何事も無かったようにエレベーターのボタンを押すけど。
刈谷先輩は不信の眼差しで私たちを交互に見ている。
「菫……」
「わ、私仕事に戻ります」
「ほら刈谷さん、拾わないと」
エレベーターを待つ間に、司さんは書類を拾い上げ刈谷先輩に渡した。
「里中くん……」
「じゃあ、刈谷さんも塚本さんもまたね」
彼は分け隔てなく私たちに声をかけてエレベーターに乗り込んで行ったけれど、それを見送る刈谷先輩の顔はとてもこわばっていて。
私は追求される前にその場を逃げ出した。
今だけは仕事が忙しくなったことに感謝する。刈谷先輩に追及されたらどんな顔していいか分からないもの。