副社長は溺愛御曹司
残務がないことを確認して、逃げるように執務室を出てきた。

明日で、秘書としての仕事は、終わり。


とうとう、ヤマトさんとは、こんな関係のまま別れることになりそうだった。

どうしてこうなっちゃったんだろう。


悲しくて、さみしくて、やっぱり好きだなんて軽はずみに言うべきじゃなかったとか、くだらないことを考えて。

地下通用口を上って、暗い屋外に出たところで、鋭い声が背後から聞こえた。





「神谷」





全身が震えるくらい、ぎくっとした。

ヤマトさんだ。


聞こえなかったふりをしたいのをこらえて、足をとめると、走り寄る音が近づいてくる。

また、あの冷たい目を見るのが怖くて、振り向くこともできずにいたら、うしろから腕をつかまれた。



「ちょっと、話そう」



駅とは逆の方向にぐいぐいと引っぱられ、なすすべもなく、もつれそうな足を動かす。

ヤマトさんは、執務室から走ってきたんだろう、少し息を弾ませていて。

そのまま私を引きずって、社屋の裏手へとつれていった。








「どういうつもりか、訊いていい?」

「え…」



突き飛ばすように腕を離され、思わずよろける。

社屋の裏口から出てすぐの、ダストステーションくらいしかないここは、明かりもほとんど届かず、人影もまったくない。


そんな場所で、厳しい声で問い詰められ、私は心底、混乱して、うろたえた。

薄明りの中の、ヤマトさんの顔が、本気で怒っているように見える。

どういうつもりって、どういう意味だろう。



「そんなに、なかったことにしたいの」



私は肩にかけたバッグの柄を両手で握りしめて、身体を硬くした。


それは。

ヤマトさんのほうなんじゃないの。

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