春秋恋語り


見上げた空に浮かぶ月は、満月に近づいていた。

願い事でもしてみるか、なんてことを思うほど気分は上々。

足取りも軽く部屋に帰った。

日中の暑さのせいか、室内は真夏の帰宅時と変わらぬ暑さだった。

誰も出迎えてくれないことに変わりはないが、今夜は孤独を感じない。

楽しい余韻はずっと続いていた。

エアコンのリモコンを手にしたと同時に電話が鳴り、弾んだ気分のまま機嫌よく電話にでたのだが、聞こえてきた声に ”しまった” とばかりに顔が歪んだ。

小林のおばさんの声は、いつになくイラついていた。



『遅かったわね。待ちくたびれちゃったわよ』


『すみません。後輩にばったり会って、誘われて飲みに行ったので遅くなりました。
いま、帰ってきたんで、これからおばさんに電話しようと思ってたところです』



よくもこんなウソがでるものだと、自分でも感心する。

かといって、まったくのウソではない、ばったりと後輩に会ったのは本当だ。

おばさんに電話しようと思っていたってのはウソだが……

僕の見合い報告を待ちつかれたおばさんが、痺れを切らして電話をしてきたのだった。



『深雪さん、おとなしい人でした。 僕ばかりしゃべってたから、向こうは楽しくなかったでしょうね』


『そうだったの。で、どうする? お付き合いしてみる?』


『いや、おそらく断られると思いますから』


『そお? でも、まだわからないじゃない。とにかく、深雪さんのお母さんの報告を待ってみなくちゃ』



僕が気乗りしていないとは思わないのか、向こうの出方次第ですからと楽観的観測を述べ、おばさんは電話を切った。


どう考えても深雪さんが僕を気に入ったとは思えない。

おばさんには悪いが、今回の話は流れるだろう。


それにしてもと、またしても僕の頭は大杉を思い出していた。



「母の葬儀の際はありがとうございました」



16歳の彼女も、似たようなことを僕に言った。

その頃すでに転居していたのに、どうして僕が彼女の母親の不幸を知ったのか、過ぎ去った時をじっと思い出す。

そうだ、お袋が彼女の母親と友人だった。

だから、彼女は年賀状を送ってくれたのか……

卒業後も、大杉千晶から吹部の近況を書き添えた年賀状が届いていた。

母親同士がどんないきさつで親しくなったのか、それは思い出すことはできなかったが、葬式に行くというお袋に、
一緒に連れて行ってくれと頼んだことだけは覚えている。


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