猫と隠れ家



「お待たせ致しました」

 マスターの彼がいつも通りに美々の前へと珈琲カップを丁寧に置いてくれる。ビターな珈琲豆の香りをさらにふわりと包み込む、胸焦がすオレンジリキュールの香り。あっという間に美々を心地よく誘う。だが今夜は少し違うことが目の前で起きていた。

「チョコレート?」

 カップの横に手のひらほどの小さなソーサー。そこにちょこんとサイコロのようなチョコレートが二つ。いつもはコーヒーだけなのに。
「十日ほど前から、スタッフにパティシエを入れたんです。日替わりケーキを限定で置くようにしました。こちらは手作りの生チョコで夜ご来店くださった女性のお客様にサービスしております」
「えー、そうなの。手作りの生チョコ!」

 小さなソーサーを手にとって眺めた。小さな小さなキューブチョコ。二個なんてちょっとしたプレゼントみたいで嬉しい。

「このお店で今度はパティシエが自ら作ったケーキも食べれるってわけ。なんか贅沢!」

 だがマスターは申し訳なさそうに会釈をした。

「残念ながら日替わりケーキは製造に限界がありますので日中になくなってしまうんです。パティシエが一人だけで製造、そしてこんな目立たないカフェに寄るお客様も限られていますので、多くは用意しない方針でして」
「ううん、わかっています。売り切ることが大事だもの。それに……夜にここへ来る客は、だいたいは飲んで胃が疲れているか、食事を終えてお腹一杯だからケーキは商品としてはあまり動かないでしょうし。チョコレートの方が合っていると思うな」
「その通りです。なんだか良くおわかりですね。もしかして……」
「いえ。単に私がいつもそうなので」
 思わず自分の考えを語っていたことに驚き、美々は慌てて口をつぐんだ。
「頂きます」
「ごゆっくり」

 マスターが去っていく。美々も満足げにリキュール入りのドリンクと手作りの生チョコレートを味わった。

 本当、いい店。なくなって欲しくない。ここはなんだか、『帰ってきたー』という気にさせてくれるの。丁寧にきっちり妥協なく淹れられた珈琲に紅茶。その上、こんな丁寧に作られたスイーツまで仲間入りしたなんて。しかも沢山じゃなくてさりげない一口だけのプレゼント。押しつけがましくない控えめな気配りが本当に嬉しい。





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