あの猫を幸せに出来る人になりたい
「斉藤花です、初めまして」

「初めましテ、ジャックです……ふぅむ」

 熊男──こと、エリーズの兄であるジャックは、立ち上がって挨拶をする花をふむふむと眺め回した。

「ズバリ、花ちゃんに足りないのは、絶対領いk……ふごぉっ!」

「ジャ、ジャック! ちょっと来て」

 ババーンと人差し指を向けられ、いまやまさに重大なことを言わんとしていたジャックは、それを言い終えるより先に倉内に捕獲された。フルールを抱いていないおかげか、すばやい身のこなしだった。ちょっと花が驚いたくらいだ。

 いったい何だったんだろう。

 カナダ側の従兄は、謎に包まれている。多少、キテレツな方向性の人のようだということだけは、何となく花にも空気で伝わったが。

 お、ジャック、と倉内に連行される途中で、他の人たちが彼を発見し、倉内から彼の身柄を奪う。成人しているようで、既に酒を注がれ始めていた。

 そんな従兄にため息ひとつ落として、倉内は花のいる長椅子まで戻ってきた。

「ごめん、花さん。ジャックは、ええと……ちょっと変わってるんだ」

「はい、何となく分かりました」

 エリーズの日本カルチャー病を、もっとひどくした感じと言われて、そんなものなのかと曖昧に頷いた。

「日本に来るのも、これで五度目。大学でも、日本語専攻してる上に、日本の作品を日本語で楽しみたいって、猛烈に勉強して……」

「すごいですね。私は、『ハリー・ポッ○ー』好きですけど、原文で読む気まではしませんし」

『愛は言語を超える』を体言している人を、花はこの空間に二人見ることとなる。ひとりは、倉内の父。もう一人が、さっき現れたジャック。倉内の父は、妻と仲むつまじそうに寄り添っている。

 前に、花は倉内に両親の話を、聞いたことがあったのだ。倉内の母は『ひろみ』と言う名前だが、来日してすぐくらいだった倉内の父は、日本語こそ学んではいたけれども、どうしても『ヒロミ』の『ヒ』が苦手で、彼女に袖にされ続けていたらしい。そのため、倉内の父はそれこそ死ぬ気で特訓して、その壁を乗り越えた、と。

「そういえば、ジャックさんは私の名前、するっと呼べましたね」

「う、うん……そうだね。ジャックは、出来るみたい」

 倉内の表情が、少し曇った。さっきの、キテレツな登場でも思い出してしまったのだろうか。

 視線の先のジャックが、妹に手渡された手巻き寿司に、ぱくりと食いついて目を白黒させている。ケラケラ笑っている、エリーズと千恵。何の具だったのか。さっきのジャムの瓶が、花の脳裏によぎる。

 見ると、みないつもならやらなそうな、組み合わせで食べ物をこしらえ始めていた。クレープにポテトサラダを挟んだり、手巻き寿司にパスタを挟んだり。

 クレープにお肉も、ちょっとおいしそうと、花の好奇心がむずむずしていた。何かで巻いてしまえば、片手で食べられるお手軽感が、この庭の中で小さなブームになっている気がした。

 既にコウが、肉を手巻きの中に投入し始めている。そっちかと、花は食い気に引きずられたまま、人の手元を見るので忙しくなった。

「……どうかしました?」

 そんな中、自分がじっと見られているのが分かって、花は横の倉内を見た。屋外用のライトと、バーベキューの火という、それなりに明るい場所だ。彼が、はにかみながら視線を落とす姿もよく見える。

「う、嬉しかった……花さんが、僕を、大切な友達って、言ってくれて」

 そんな姿に意識を取られていたので、倉内がぽつりと呟いた言葉を、花はすぐに理解出来なかった。

 少しの間を空けて、それが車の中の出来事だと思い当たる。

「わ、私も、私も嬉しかったです。大切な友達って、一人じゃなれないですし。一緒にいて楽しいって思えてた意味が、やっと自分でも分かりました」

 空っぽの紙コップを、気をつけないと花は握りつぶしてしまいそうだった。それくらい肩に力が入っていたのだ。

「楽しい?」

「はい、すごく楽しいです」

「ほんと?」

「はい!」

 彼は、花の言葉の一部が疑問だったようだ。きっと、彼がこれまで自分に自信を持てなかった部分。

 嘘のない気持ちで、花は力強くそれを肯定する。

「よ……かったぁ」

 倉内が、両肩をはぁっと息を吐きながら落としていく。全身で表される安堵。

「よかった……僕だけが、楽しいのかと……思ってた」

「楽しいですよ? 映画も遊びに来た時も縁日も、今日も」

 いつも別れ際に『楽しかった』的な話はしていたが、彼はそれを社交辞令として受け取っていたのだろうか。

 確かに花は、余り大きく感情をあらわにしない。少し困ったり、少し落ち込んだりはよくするけれど。

 あ、そういえばと、花は大きく感情をあらわにした日のことを思い出して、恥ずかしくなった。それを、倉内に見られたのだ。

 タロのトライアルが成功して、無事に飼われることが決まったあの日。花は、彼のことも忘れてわあわあと泣いてしまったのである。

 あんな姿を見られたのだ。本当は感情の振れ幅の大きな人間だと、倉内には思われていたのかもしれない。それを、表に出さないだけなのだと。

 ああいうことは、めったにないんですよと、今更言っても分かってもらえないだろうことを、言い訳がましく心で呟く。

 タロがいなくなってしまったことは確かに寂しいが、ちょうどあの頃からだろう。その隙間には、倉内がいてくれた。最初は小さかった彼が、一緒に歩く度に、話をする度にだんだん大きくなっていったのだ。

 そして気がついたら、大事な友達になっていた。

 小さな猫がつないでくれた、ほんの小さな縁が始まりだったというのに。花は、フルールに感謝した。友達を連れてきてくれて、ありがとうと。

「ぼ、僕も……僕も、楽しい。嬉しい。ああ、もっといい言葉が、ある、はずなのに」

 何だか、倉内先輩が泣きそうに見えて、ぽんとその肩をたたいて花は椅子から立ち上がった。

「言葉なんて、これからいくらでも探せます。いくらでも一緒に遊べますから。今度はクレープ、食べませんか?」

 笑って誘うと、倉内もまたその唇を笑みに変えて「うん」と立ち上がった。


 
「楓、これどこで買っタ?」

 エリーズへのプレゼントを見たジャックに詰め寄られ、店を教えたり。買い逃していたと地団駄を踏んだジャックが、明日帰国前に強引に店に寄ってお土産として買い占めることが決まったり。エリーズが、そんなことしたら私のプレゼントの価値が下がると兄妹ゲンカを始めたり。

「新しい味に目覚めた。おはぎがあるんだから、米にジャムも結構いけるとは思っていたけど」

「マジで、アボカドサーモンバナナクレープ最高」

 千恵とコウの謎の巻物談義に、文字通り巻き込まれたり。

「互いの具が、あちこち入れ替わっちゃったわね」と、倉内母に笑われてしまったり。

 あれ入れて、これ嫌いと、チビっこたちにクレープを作らされて、手がベタベタになったり。

 食べ物と飲み物を手に渡り歩き、笑ってたまに困って。そんな騒動の中、ずっと倉内は花の隣にいてくれた。

 おなかがいっぱいになって、ひと段落ついた頃、倉内がフルールを連れてくると一度部屋に戻る。庭の端では花火が始まっていた。花は、開け放たれた居間の段差を椅子代わりに腰掛けて、それを見るのだ。

 エリーズ、ジャック、千恵、コウの従兄妹軍団にチビっこたちを加え、きゃあきゃあ言いながら火をつけている。

「花さんもおいでよ」と千恵が花火を掲げて誘ってくれるが、「大丈夫です」と手を振った。これから、隣に猫が来るのだ。花火なるものが、決して得意とはいえない動物なので、近くで見ていようと思った。

 少し待つと、倉内がフルールを抱いて戻ってくる。もはや、白い猫はべっとりと倉内の胸に張り付いている。彼が、ちらっと花火を見て、「あっ」という顔をした。間の悪いタイミングで猫を連れてきたことを、少し後悔しているように見えた。

「どうぞ」とそんな彼の気をそらすため、花が自分の隣の場所を勧める。ため息をひとつついて、倉内はそこに腰掛けた。

「花火……」

「フルール、また少し大きくなりましたね」

 倉内が切り出しかけた言葉の上に、花はよいしょと猫を乗せた。普段は、倉内の言葉は出来るだけ最後まで聞くようにしているが、何を言われるか分かっていたので、今日はそれを止めたのだ。

「あ、うん、そ、育ち盛りみたい。太ってはないよね」

「全然大丈夫です。毛並みもきれいだし、可愛がってもらってるのが一目で分かります」

 簡単にフルールの話に釣られた倉内が、可愛く見える。男子高校生に可愛いというのは、本人にしてみれば不本意だろうが。

「撫でさせてね、フルール」

 そんな彼の胸の白い猫にそっと指を伸ばして、耳の後ろを撫でてやる。前にも会ったことがあるのに、またフルールに知らん顔されていたが、花の撫でテクは覚えているのか、抵抗もせずに気持ちよさそうに目を細める。

 倉内の指も伸びてきて、彼はフルールの喉を撫でる。何とも豪華な二人撫で、だ。テクの花か、愛の倉内か。どっちで気持ちいいのか分からないが、フルールはごろごろご機嫌に鳴きっぱなしだった。

「縁側の老夫婦みたいだな」

「こらこら、コウ」

 花火を振り回す大人気ない従兄姉たちに冷やかされて、花は笑ってしまった。うら若い高校生二人だというのに、もはや老人に見えてしまうらしい。若々しさは、いったいどこへ行ったというのだろうか。

 花が笑っているのを見て、倉内も少し困ったみたいに笑う。彼も若さについて考えているのだろう。

「ふぅむ、花ちゃんに足りなイのは、やはり絶対領域。それと、ラッキースケ……ぐぬっ!」

「ミニスカトニーソ貸スヨ!?」

 エリーズが、兄に体当たりをかますように前に飛び出してくる。どうやら、ファッション談義のようだ。彼らにしてみれば、この無難な花のファッションには一言物言いたいのだろう。

 何だか分からないままに、ハイテンションな二人に釣られて花も笑ってしまった。


 楽しい楽しい、ただ楽しいばかりの送別会は、こうして終わったのだった。
< 19 / 25 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop