8月6日の選択肢
8月6日の選択肢
『私が死ぬか、あなたが死ぬか、8月6日までに決めましょう』

人生に置いて、選択肢というものは非常に重要なものだと思う。だからこそ、一時の気の迷いや、揺らぎに任せて判断してはいけない。たっぷりと時間を使って、自分の意志で、決めなくてはならないのだ。

―――例えそれが、誰かを傷つけることになったとしても。


8月6日の選択肢


私の人生はそれなりに順調だと思う。優しい家族に恵まれて、仲の良い友達に囲まれて、私を愛してくれる彼氏まで出来た。私は、良い人生の選択肢を選んできた。自分でも、それは実感している。
「華織、聞いとんの」
ふと、耳元で聞こえた、関西弁の少し残る口調の声に、真横を見上げた。少し心配そうに眉を下げながら、私の顔を覗き込むのは、私を好きだといってくれた、彼氏である鳴海だった。
「聞いてるよ。なに?」
「眉間にシワ、よってる。なんでそんな怖い顔しとるん」
最近、同じように心配されることが多い。それはきっと、こんなくだらないことを頭の中で考えているからだろう。
「ごめん。大丈夫」
「・・・・・・なんか困ってんなら、俺にちゃんと相談してな」
「うん。ありがと」
鳴海は優しい。告白された時から、ずっと。私を大切にしてくれている。今の環境に、世界に満足しているはずなのに・・・どうして私は、あんな事を考え込んでしまうのだろう。選択肢の可能性なんて、考え込んでいたら無限ループだ。考えるのはもうよそう。


夏休みに入り、友達と会わない日が続くと、なんだか急に寂しくなる。家族としか会えないのが不満わけじゃない。ただ、いつもの日常がすぐ側になくて、落ち着かないだけなのだ。しかし、この8月6日、何故か"誰か"にメールで呼び出された。まあ久しぶりの学校だし、私を呼び出した相手も気になるしと足を進め、なんとなく屋上の扉の前まで来てみる。いつもなら開いていない扉が、少し押しただけで開いてしまった。
「え・・・・・・」
何故開くのかはわからない。でも、本当になんとなく、私は屋上へと足を踏み入れた。
「・・・・・・あ」
先客がいた。・・・でもそれは、普通に屋上でひなたぼっことか、そういう雰囲気ではなかった。元々この屋上は、フェンスの位置が低く、危険なため立入禁止になっている。フェンスを越えれば、下に真っ逆さま、つまり、飛び降り自殺が出来てしまうわけである。そして、私と目が合ったその先客は―――フェンスの外側に立っていたのである。
「一之瀬さんだ」
先客・・・もとい天宮美月さんはニコリと笑った。何故フルネームなのかといえば、私は彼女と特に面識がないからである。一回だけ同じクラスになったけれど、話したことはなかった。
「・・・危ないよ、天宮さん。何してるの」
「大丈夫よ。それに、ちょっと外側に出た方が景色が綺麗に見えるわ」
いつもなら、私は。後々面倒な事になるであろう自殺シーンなど、見て見ぬふりで立ち去るのに。この日の―――8月6日の私はすこぶるおかしかったようで。さようなら、なんて動く天宮さんの唇を見て、何故か思わず彼女の腕を掴んでいた。
「・・・っ!」
馬鹿だ、私。こんな低いフェンスなんだから、落ちる人を掴んだら自分も一緒に落ちるに決まってるのに。やけに落ちるスピードが遅く感じる。ああ、私死ぬのかな。ぼんやりとそんなことを考えて、静かに目を閉じた。
***
――7月28日――
ねえ、起きて一之瀬さん。面白いものが見られるよ。
頭に響くように聞こえてきた声に飛び起きる。すると、目の前にはにっこり笑う天宮さんの姿と一面の青空が広がる屋上。どうして私は、天宮さんと屋上にいるんだろう。さっき天宮さんの手を掴んで、一緒に落ちたはずなのに・・・。
「ねえ一之瀬さん。今日がいつかわかる?」
「は・・・・・・え、8月6日、でしょ」
「ふふ、不正解よ」
天宮さんは何故か楽しそうだ。というか、8月6日が不正解って・・・意味わかんない。
「不思議よね、一之瀬さん。私たち、あそこから落ちたはずなのに」
「・・・!」
やっぱり、落ちたんだ。夢なんかじゃなかったんだ。
「もっとびっくりすることにね―――今日は7月28日なのよ」
「7月、28日・・・?」
私はおうむ返しのように天宮さんの言葉を繰り返した。屋上から落ちた今日は、8月6日。天宮さんが言った日付は、7月28日。9日も戻ってる・・・?
「それとね、聞いて一之瀬さん」
「・・・・・・なに?」
さっきからやけに楽しそうな天宮さんに少し苛立ちを覚える。私のそんな気持ちにも気づかず、彼女は私の手をぎゅっと握る。

「この夢世界、私たちのどちらかが死ねば出られるんですって」

―――は。
「・・・・・・何言ってんの」
「ふふ、怒らないでよ一之瀬さん」
そんな馬鹿げた話はいらない。どうして私はこんな幻覚の中にいるのか。こんなお遊びには付き合っていられない。
「幻覚なんかじゃないわ。私たちは生と死の間をさ迷ってるのよ」
天宮さんの顔から笑みが消える。冷たく鋭く重苦しい目に冷や汗が背中を伝う。天宮さんは私に背を向けて屋上の下を眺めながら話す。風に声を乗せるように。
「神様はちょっと変わってるみたいね。私たち二人のどちらかだけの命を繋げようだなんて。まあ、本来なら二人とも死んでいるんだから、一人生られるだけでも運が良いことだけれど。でも残酷よね。一之瀬さん・・・・・・生きたいでしょう?幸せな人生だもんね。すべて良い選択で進んできた人生。私にはない・・・幸せな人生」
天宮さんは事の全てを説明してくれている。軽いジョークも織り交ぜながら。だけど・・・言葉の節々に棘があって。その鋭い憎悪は私に向けられていた。

「ね、一之瀬さん。―――私が死ぬか、あなたが死ぬか、8月6日までに決めましょう」

こうして私と彼女は、7月28日から8月6日までの9日間をやり直すという、死ぬ前にしてはケチ過ぎるご褒美を神様からもらった。もう、幻覚だとは言い訳が出来なかった。確かに彼女が手を握った箇所にくっきりと爪痕が付いていたからだ。私は一体何をしたというのだろう。ろくに関わったこともない彼女に怨まれるような、何かを。ぼーっと空を見上げて考える。私は・・・どんな選択をしたら良いのだろう。
***
どのくらい時間が経っただろうか。天宮さんはとっくに屋上からいなくなっていて、立入禁止の領域には私しかいなかった。今だぼうっと空を見上げていると、急に屋上のドアが開いて、思わず肩を震わせた。
「あ・・・!」
その人物は私を見つけるなり、心底安心したような顔をした。
「やっと見つけた・・・」
鳴海だ。
「今まで何しとったん。授業も出てないから焦ったんやで」
鳴海は私の隣に腰を下ろすなり私を抱きしめる。久しぶりのような感覚に、嬉しさと悲しさを感じた。
「探した」
「ごめん」
「超、心配した」
「・・・ごめん」
「もう急にいなくならんで」
「うん・・・・・・ごめんね」
涙が零れた。もしかしたら鳴海と過ごせるのは、この9日間だけかもしれない。もう会えないかもしれない。
「え、ちょ・・・どうした・・・?!」
「鳴海・・・っ」
考え始めたら、また無限ループ。止まらなくなって涙が溢れる。鳴海が慌てて私の頭を撫でてくれる。優しい手の平に温もりを感じた。

「落ち着いた?」
「うん」
しばらくして涙は止まり、もう次の授業も始まったのでこのまま屋上でサボり。そんなサボりにも鳴海は付き合ってくれる。
「理由は聞かんけど、溜め込むんやないで。話したくなったらいつでも話して言うたやんか」
ふわりと微笑みながら言われる言葉に力が抜ける。話してしまいたくなる。でも、いくらなんでも非科学的過ぎて言えない。
「・・・・・・鳴海は、」
だから、これだけ。これだけ聞いておきたい。
「私がいなくなったら、悲しむ?」
私がもしも死ぬことになったら。いや、私が死ななくても私は重い罪悪感に捕われつづけるのだと思う。それでも・・・聞いておきたかった。
「当たり前やろ!そんなん言わんで、心臓に悪い・・・!」
「ごめん」
うれしい。・・・うれしい、なあ。もう後悔なんてないように思えてしまうから不思議だ。それでもやっぱり、死は怖い。
「・・・あ、華織。一つ聞きたい事があったんやけど」
なに?と首を傾げると、鳴海は不思議そうな顔をしながら言った。

「お前、天宮美月と知り合いやったっけ?」

―――天宮美月。今一番聞きたくない名前だった。彼女の名前を聞いた途端、一気に現実に、この馬鹿げた人生のやり直しをしていることに引き戻される。
「なんで、天宮さん」
「いや、特に意味はないんやけど。お前がここにおるって教えてくれたんは天宮だから」
天宮さんが・・・?一体、どうして。あの人、何かおかしい。私を見ている?もしかして、隙あらば私を殺そうとしてる、とか・・・。
「・・・考えすぎか」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
とりあえず天宮さんには気をつけよう。といっても、元々あまり関わりはないけど。こうしてドタバタとした7月28日は終わりを告げた。
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