8月6日の選択肢
――一年生、7月28日――
『でさぁ、華織はいつ鳴海くんに告んの』
『はぁ?告らないし』
最近、鳴海の事が気になってきた。でも私から告る気なんてさらさらなくて。自分に自信があるとかじゃないけど、自分から言う勇気なんてなかった。
『まぁ時間の問題かもねぇ。鳴海くんもどーせ華織が好きだよ。ってか明らか、確実』
『冷やかしやめろ』
なんて、どうしようもない恋ばなをしながら笑っていると、ふと友人が、思い付いたように呟いた。
『そういえば、天宮さんも鳴海くんが好きらしいよ』
『天宮さん?このクラスの?』
『まあ鳴海くんモテるかんねー。うかうかしてると取られるよ、天宮さん美人だし』
『美人じゃなくて悪かったな』
確かに天宮さんは美人だ。あんまり喋ったことはないけど。考えながら友人に悪態をつけば、友人はけらけらと笑った。
『はぁ・・・。天宮さんなんで鳴海好きになったんだろ。天宮さんならもっと合う人いるでしょ』
焦りと、羨ましさから何気なく言ってしまった言葉。それに友達も、だねーなんて笑って。
『なんか捕まえやすそうな男捕まえて遊んでるって噂もあるけど』
『わ、それはダメだね』
そう、何気なくポロッと出た言葉は、

――現在、7月29日――
「あなたから、あなたの友達へ。あなたの友達から沢山の友達へ、知り合いへ、学校中へ。私の噂は広がった。あなたはもちろん、あなたが引き金を引いたなんて自覚もないままにね」
私の言葉がきっかけになって。どんどん噂は広まって。彼女の傷を深くしたのだろう。私は、あの時どうしてあんな事を言ったのだろう。
「あなたにわかる?友達に、親に、先生に蔑むような目で見られる気持ちが。西山くんに・・・・・・冷めた目で見られる気持ちが」
そっか、この憎悪の半分は、"鳴海の彼女"である私に向けられたもの。残りの半分は、原因を作ったあの日の私に対してのもの。やっと、わかった。彼女が私を怨む理由が。
「・・・・・・っ」
「ふふ。別に良いけどね。怒ってないから」
そう言って、天宮さんは保健室から出て行った。私は、動くことが出来なかった。冷や汗がぽたりと落ちる。私は・・・・・・彼女を死に追い込んだ原因なのだ。取り返しのつかないことをしてしまった。大きな選択を、失敗してしまったのだ。
「っ、どうしよう・・・!」
もう、やり直したって償えない。天宮さんに、一生消えない傷を付けてしまった。私はベッドの上で、布団を被りうずくまった。ぐるぐると頭が回る。何も考えられない。怖い。どうしよう。溢れるのは、何から生まれたかわからない涙。冷や汗と混ざって、何がなんだかわからない。ただ、ただ、私は哀しかった。
***
――8月4日――
「急に呼び出してごめんね、天宮さん」
私は天宮さんを屋上に呼び出した。私の決意を、伝えるために。何日も悩んで、泣いて、苦しくなりながら考えた結論を。あと、2日になってしまったけど。
「私―――私が、死のうと思うの」
「え・・・?」
償えるわけじゃない。私が死んだからって、私がしたことが許されるわけじゃない。でも、天宮さんに生きてほしい。これ以上天宮さんに辛い思いをしてほしくない。
「ま、待って」
珍しく焦ったように天宮さんが私の腕を掴む。悲しそうな、顔をしていた。
「私は・・・・・・あなたに死んでほしくてあんなこと言ったんじゃないわ」
「・・・死んで許されるとは思ってないよ。ただ、残りの人生を生きるべきなのは天宮さんだと思うから」
「違うの!!」
天宮さんの悲鳴にも似た声に、私は目を見開いた。ぎゅうっと天宮さんが私の手を掴む力を強める。
「・・・死なないで・・・・・・一之瀬さん・・・!」
「?!」
なんで、そんなこと言うの。
「私は!私は・・・!あなたに死んでほしくない!お願い!8月6日まで、私と友達でいて・・・!」
「天宮、さん・・・?」
昨日の冷静に憎しみを語った天宮さんとはまるで違う。涙をぽろぽろと流して私にしがみつく様は小さな子供のようで。あまりの変わりように驚くしかなかった。
「自分でも、わからないの。すごくあなたが憎いの。原因のあなたが。西山くんと笑ってるあなたが。でも、"おはよう"って言われたとき、死ぬほど嬉しかった。でも、保健室で苦しみ悩むあなたを見るのが楽しくて。でも、あなたが死ぬのはいやで・・・っ」
彼女の感情はごちゃごちゃだった。まるで散らかった部屋のように、どこにどんな感情があるのかわからない。
「・・・・・・わかった。わかったから、泣き止んで」
そんな彼女を見て、"脆い"と思った。酷く壊れやすくて、触れたら崩れてしまいそうで。でも、離れると飛ばされしまいそうで。私は何者かもわからない感情に取り付かれたようだった。情ではない。ライクでもラブでもない。友愛でも愛情でもない。名前をつけるには時間がかかりそうな、感情。彼女の頭を撫でると、彼女は安心したようにまた涙をゆっくり流す。
「私が友達になれば、天宮さんの気が少しでも晴れるの?」
「・・・・・・ええ」
「そっか、わかった」
天宮さんはその場に体育座りをして顔を俯かせた。顔は見えなかったけど彼女はどこかうれしそうで。それからの私は、彼女と過ごすようになった。

――8月6日――
彼女といると、私と彼女には沢山の接点があったことに気づいた。
「委員会一緒だ・・・体育祭の実行委員も一緒だし、修学旅行のご飯のグループも一緒だ・・・」
些細な接点が多かった。でも、確かな接点。今まで全く気づかなかった。

「私ね・・・・・・」
ふと、天宮さんが呟いた。机に座る天宮さんに振り向けば、にこりと笑った。そして、声に出さずに、屋上、と呟いた。今日は、8月6日。どちらが生きるのか・・・決めなきゃいけないとき。選択を、迫られるとき。天宮さんは、どうしたいのだろう。天宮さんは・・・どうするつもりなのだろう。

「私は多分、あなたが羨ましかったんだと思う。なにもかもいい選択をして、いい人生に変えられてしまうあなたが。そして・・・憎かったんだと思う。あなたがいい選択をする度に、私は悪い選択をしなければいけなくなったからあなたが幸せになればなるほど、私は不幸になっていった」
天宮さんは、屋上に着くなり、吐き出すように一気にそう呟いた。前にも聞いた話だ。
「人には無限の選択肢がある。無限の可能性がある。きっとこの世のパラレルには、あなたが私のようになっていった世界もあるのよ。私とあなたが全く接点がないことも。西山くんがあなたと付き合わない世界も―――・・・」
彼女は永遠に答えの出ないような話を進める。彼女の世界は、無限ループ。ぐるぐると考えが廻っていて、そして。
「私には、西山くんがすべてだった・・・っ」
―――鳴海を軸に廻っている。
「ごめんね、天宮さん。謝ったってどうにもならないけど・・・・・・鳴海に想いを伝えることを、出来なくさせたのは私だよね」
彼女はただ、最初から。鳴海が好きなだけだったんだ。女子特有の嫉妬という感情に負けた彼女は、きっと女友達を失ったのだろう。美人だけど、誰も寄せつけなかった天宮さん。彼女は一人で、戦っていたんだ。悪い噂が広がったって、決して自分を曲げない強い意思で。それなのに私は・・・何気ない一言で、彼女の世界を壊した。
「もう、良いの。そういわれたら・・・あなたにそんな顔されたら、私は何も言えないわ。西山くんが好きだったけど・・・同じくらい、あなたが大好きだったから・・・っ」
「なんで・・・私なんかを好きなの。天宮さんの世界壊したのに!関わりもないのに!」

「でも、あなたは私の憧れだった」

じわりと滲んできた涙が、ぽつりと落ちる。不思議と泣いているのは私で、天宮さんは眉を下げて淋しそうに笑っているだけだった。
「あなたがいなかったら、あなたがあの時おはようって私に笑ってくれていなかったら・・・・・・私はきっと、あの時死んでた。屋上から真っ逆さま。誰にも知られず、死を惜しまれることもなく、死んでたと思う」
そんなの、覚えてない。何気ない日常の一部で、天宮さんだと思って挨拶をしたわけでもないのに。
「だから私、あの日―――8月6日にあなたを呼び出したの。誰から来たのかわからないメール、あったでしょう?本当に来てくれるとは思わなかったけど・・・あなたは来た。ただ、あなたが見ていてくれればそれでよかった。なのにあなたは・・・・・・私の手を掴んだ。一緒に落ちるなんて、馬鹿じゃないの、って思った。それで私は願ったの」
――一之瀬華織を救ってください、ってね。
天宮さんは笑った。何故、私に笑顔を向けるのだろう。その笑顔で私に何を伝えようとしてるのだろう。

「私の、我が儘に付き合ってくれてありがとう」

―――さよなら。

ふわりと、落ちる。また、同じ場所から。彼女の細い体は、いとも簡単に下へと落ちていく。私の伸ばした手は、今度は届かなくて。何も掴めなかった私の手は、空を掻いた。
「天宮・・・さん・・・っ!」
私は、悲しいのだろうか。自分が生きられるのに。私は、彼女を大切に思っていたのだろうか。大した関わりもなかったくせに。私は選択を誤ったのだろうか。・・・いや、むしろ。大きな選択をしたのだ。それの代償があまりに大きくて・・・。
ぐるぐると考えていたが、私の思考はやがて停止した。


「・・・・・・り・・・・・・!」
微かな声に、目を開けた。
「華織・・・!目、覚めたのか?!」
白い天井。大好きな人達の顔。ぐるりと見回すと、外には青空が広がっていた。
「よかった・・・。あなた、9日も目を覚まさなかったのよ」
「・・・・・・天宮さんは?」

「天宮?天宮って、誰や?」

―――え?
お母さんに頭を撫でられながら問えば、お母さんも鳴海も不思議そうな顔をした。
「・・・お前、8月6日に急に倒れて・・・ずっと目、覚まさへんかったんやで」
鳴海が泣きそうな声で私に言う。遠慮がちに握られた手を、ぎゅっと握り返した。
「・・・・・・っ」
涙が、とめどなく流れる。
「え、華織?そんなに泣いてどうしたん?!どっか痛いんか?!」
「違う・・・違うの・・・っ」
―――彼女は、いたのに。
それからしばらく泣き続けて。いつの間にかお母さん達は帰っていて。鳴海はずっとついててくれた。やがて面会時間が終わって、やっと自分の思考が落ち着いてきた。
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