死の迷宮から
【中編(中)】
メアリー。

メアリー。



『メアリー!』
ハッとして、目を開く。そこにはお父さんが立っていた。光るほどに磨かれた白い床や、遥か上から続く螺旋階段は相変わらず、無駄なくらい豪華だ。私が立っている場所は一階のフロアのような場所で、沢山の人でごった返していた。
『メアリー、ぼーっとしてどうした?』
『え?あ、いえ・・・』
お父さんを心配させないよう、必死で作り笑いを浮かべる。
『・・・・・・結婚のこと、嫌なのか』
しかしどうやら、お父さんにはばれてしまうらしい。
『・・・・・・本当は・・・嫌です。でも、いいんです。私は、皆の幸せが一番嬉しいから』
『メアリー』
悲しそうに顔を歪めたお父さんは、私をそっと抱きしめた。そして私も、温もりを確かめるようにお父さんの背中に腕を回す。

私の家は、大財閥のアーデルウェル家。沢山のホテルや店を経営し、徐々に拡大してきた。そんな大財閥の一人娘―――それが私だ。それ故に私は、好きな人と結ばれる事を許されなかった。それどころか、政略結婚というものをさせられるのである。決して会社が倒産しそうだ、とか、拡大したいから、という理由ではない。何故かはわからないが、あちらの息子さんが私を気に入ったらしいのだ。
『私も逢ったのだがな、とても良い好青年だったよ。さすがはウエス家の御子息だ』
アシュト・ウエス。何故か私を気に入ったらしいウエス家の御子息。私はそんな、顔も知らない人と結婚しなければならないのだ。
『私はね、お前がちゃんとお前に釣り合う人と結婚してほしいんだ。例の青年は、もう忘れてくれないか』
父がここまで結婚にこだわる理由は、私の想い人である。私の想い人は一般市民の学生で、同じ学校ではあるものの、そもそもの学科が違う。しかし、図書室で逢った彼―――ライアン・スージーは、すごく素敵な人で。私は一瞬でライアンに惹かれた。彼も私に好きだと言ってくれた。でも、そのことを話せば、父は顔をしかめた。父は、ライアンとの恋を許してはくれなかった。ライアンを学校から追い出し、ウエス家との婚約の話を持ってきた。しかも、アシュト・ウエスと婚約すれば、更に会社も有名になるのだから、これほど父にとって都合のいい話はないだろう。
『・・・わかってます。もう、彼の事は、忘れましたから』
忘れてなんていない、愛しい彼。・・・ライアン、今すぐ貴方に逢いたい。・・・そんなことを願っても、叶わないのだろうけど。もう・・・5年も逢っていない。

『これはこれは!アーデルウェル家の御令嬢!』
いきなり掛けられた声に振り向けば、嬉しそうに笑う男性と、私を見たまま固まっている青年。気さくそうな男性は、にっこり笑って青年の背中を押した。
『お会いできて嬉しいです。メアリー・アーデルウェル様』
『え、あ、・・・もしかして、アシュト・ウエス様?』
この人が、私を?アシュトは見るからに美形で、柔らかい空気を纏う好青年だ。嬉しそうに微笑む姿に親近感が湧いた。
『あの。・・・俺、君を一目見た時から気になっていて・・・・・・一度だけ図書室で逢ったの、覚えてませんか?』
図書室―――ライアンの笑顔が過ぎる。ダメだ。・・・思い出さなきゃ。
『ええと・・・・・・もしかして、"塔の魔女・クラウディア"の話をした、あの時の・・・?』
顔は正直覚えていなかった。でも、こんな感じの青年と、一度その本について話した。あまり有名じゃないから、知ってる人がいたことに驚いた。
『そう、です・・・!』
アシュトはとても嬉しそうだ。
『この娘と本の趣味が合うなんて珍しい。良い青年じゃないか、メアリー』
『こちらこそアシュトにはもったいないくらいのよく出来た御令嬢だ。お互い気に入ったようだし、正式に婚約ということでよろしいかな?』
ああ、私。・・・この人と、結婚するんだ。確かにアシュトは素敵な人で、結婚するならきっとこういう人がいいんだろう。・・・でも私はやっぱり。
"ライアン"・・・・・・。
ライアンを、忘れられない。
『よろしくお願いします、メアリー』
『・・・よろしく、アシュト』
そう、アシュトと結婚すれば、幸せになれる。私も、皆も。私は、そう思って結婚を決意した。
°。*°*。゜。
パン、と、渇いた音が響き渡った。周りには、誰もいない。でも、いなくてよかったと思う。
『・・・・・・あなた、本当はアシュトの事、好きじゃないんでしょう?』
私の頬を打った少女は、確か―――アシュトの親戚で幼なじみでもある少女、コーデリア・ウエス。彼女は酷く辛そうな顔で、私に言う。
『そんなことないわ。アシュトは優しいし、素敵な人よ。好きじゃないなら結婚なんてしないわ』
『嘘よ。そうやってあなたは逃げるのね。私が打った事にも何も言わずに』
コーデリアは私を思い切り睨む。きっと、コーデリアはアシュトが好きなんだろう。でも、結ばれないんだ・・・・・・私と、同じ。
『結局あなたは逃げてばかり。真実を記憶の奥底に隠して、二度と見ることはないんでしょう。―――そうやって、何年貴女は同じ事をしてきたの?』
自分よりも、年下の彼女に指摘されたことは、まさに図星だった。私はそうして、今まで逃げてきた。今回もまた、逃げようとしている。逢ったばかりの少女は、それを簡単に見透かした。
『アシュトを裏切ったら、許さないわ』
そう言い残して彼女は去って行った。それから、アシュトに駆け寄って行った。アシュトと嬉しそうに話すコーデリアは、キラキラと輝いていて、私には眩しかった。代わってあげられたら・・・なんて馬鹿なことを考えて、夕空を見上げた。寂しいとき、不安なとき、いつも思い出すのは、ライアンの顔。徐々に薄れていくライアンとの記憶を、必死に脳裏に閉じ込めた。


しばらくして、私はアシュトの家にお邪魔することになった。結婚するのだから当たり前だろうと、父に背中を押され、この家で生活を始めたものの・・・。私とアシュトの関係は、崩れていった。アシュトは決して親には見せない歪んだ感情を、私だけに見せるようになった。
『アシュトは私の何処を好きになったの?』
こんな、私の、何処に執着しているのだろう。そう問うと、アシュトは決まって『全て』という。答えは決まってるのに、私はその質問を繰り返した。アシュトの方を見ずに、呟くように言うと、アシュトの大きくて温かい手が私の手を乱暴に掴む。
『それ、もう10度目だぞ』
アシュトが少しいらついたように言う。
『お前は何回、このことを俺に聞いた?』
怒らせてしまった、のだろうか。
『・・・ごめんなさい』
掴まれた手が、痛い。爪が食い込み、青くなっている。痛い、と素直に呟けば、今度は荒々しく抱きしめられた。
『・・・・・・俺以外の奴の事は、もう考えるな』
『・・・考えてないわ』
『別に隠さなくていい。これからは考えなければいいんだから』
アシュトは私を愛してくれる。でも、私はライアンを愛していた。他の人をまだ愛していることが、何となく彼にはわかるんだろう。・・・最初は、アシュトを愛したいと思っていた。でも、今の彼は―――怖い。自分のものだとでも言うふうに、私に傷をつける。爪痕が残り青くなった手首を押さえ、涙を流した。私は、今の彼を愛すことは出来ない。アシュトから逃げたい。

私はアシュトに何故あんな質問をしたのか。自分でもわからなかったけれど、今、何となくわかった。私は彼に、ライアンと同じ答えを求めていたのかもしれない。
"君自身が嫌いな君が、"
"一緒にいると落ち着く君が、"
"僕を好きな君が、好きだよ"
『全て』という短い言葉じゃなくて、心に響くような言の葉で。ライアンは私に愛を伝えてくれた。・・・愛しい。彼が、愛しい。会いたい。今すぐにでも。
迎えにきて、ライアン。
心の中で小さく呟いた言葉は、冷たいベッドに消えた。
°。*°*。゜。
―――結婚式、当日。
その日のアシュトは、会ったときのように優しくて、ウェディングドレスに身を包んだ私を綺麗だと言ってくれた。体の悪い母も、わざわざ体を起こして式に来てくれた。私に、幸せになってね、と微笑んだ。
"お母さん、家に戻りたいよ"
心の声が出かかったけど、必死に押し込めた。お父さんと、温かな外に置かれたスペースにある、神父の元へと歩く。アシュトは、歩いて来る私に笑んだ。私は、小さく微笑みを返した。
アシュトと、向かい合い、見つめ合う。ああ、ついにこの時が来てしまったのだと、実感する。でも、私は。必死に忘れようとして過ごした5年。アシュトを好きになろうとした1年。・・・一度もライアンを忘れることは出来なかった。いっそ、アシュトが私を捨ててくれたら良いのに。なんて、誰かが行動を起こすのを待ってるばかりの私は、結局臆病者だ。
『・・・メアリー』
名前を呼ばれて、式に来ている人には聞こえないような声で囁かれる。
『君に傷をつけて、ごめん。俺のどうしようもない独占欲だった・・・。でも、お前の事、愛してるんだ。これからは、もう傷つけたりなんかしない。約束する』
『・・・・・・』
アシュトの優しさに胸が痛んだ。謝られるのが、苦しい。だって、彼が怒るのは当然なのだ。彼の心の方が私より傷ついているのだ。怖いと思ってしまったけれど・・・あれは当然の報いだ。
『謝らないで。・・・ごめんなさい。私、絶対に貴方を愛すわ。貴方だけを、愛すから・・・!』
もう、彼の―――ライアンの事は考えない。絶対に。優しい彼を、愛す。
『愛してる・・・メアリー』
誓いのキスとも言える口づけが、落とされようとしていた。嬉し涙で啜り泣く声も聞こえる。私は、そっと目を閉じた。

―――その時。


『きゃあっ!』
コーデリアの悲鳴が響き、この場にいた全員がそちらに視線を向ける。アシュトは、あと数㌢で唇が触れそう、というところで動きを止めた。もちろん私も何事かとその方向に目を向けた、瞬間。

『ぐっ・・・・・・!』
アシュトの体が、黒い服やフードを身に纏った男に突き飛ばされた。よろけたアシュトは、近くにあったテーブルにぶつかった。
『・・・!アシュ・・・っ』
痛みに顔を歪めるアシュトに駆け寄ろうとした。しかし。
『っ・・・?!』
男は、私の腕を掴んだ。そして引き寄せ、私の体を担ぎ上げた。
『っ、は、離して・・・!』
『・・・・・・』
男は何も言わず、走り出す。大勢の人がパニックに陥り、叫んだり、泣いたり、警察を呼んだりしていた。男が高い屋根から下へ飛び降りる瞬間―――母さんの泣き顔と、父の焦った顔が見えた。伸ばした手は、二人に届く事はなかった。
°。*°*。゜。
メアリーが、何者かにさらわれた。花嫁のいない庭園で、多くのものが不安げな顔で立ち尽くしていた。
『メアリー・・・!』
メアリーの母、フランシス・アーデルウェルは泣き崩れた。それを、メアリーの父、クランソン・アーデルウェルは抱きしめ、支える。突然さらわれた娘。もっと警備を万全にすべきだったと悔やんだ。
『アシュト!アシュト大丈夫?!しっかりして・・・っ!』
『ああ・・・・・・リア』
アシュトは、顔を俯かせた。そして、爪が食い込むほど拳をにぎりしめた。
『許さない』
『え?ア、シュト・・・?』
『あの男を、許さない。必ず見つけだして殺してやる・・・!』
コーデリアは顔を歪めた。狂気が、渦巻いていたからだ。そして、優しくアシュトの手を握った。
『ダメよ、アシュト。そんな狂気まみれじゃ、メアリーに嫌われる。・・・私に任せて。貴方が何かする必要はないわ』
私が、必ず見つけだすから。
コーデリアはアシュトを抱きしめながら、囁いた。



"メアリー"

"アシュトを裏切ったら、"




"許さないわ"



コーデリアの口角が、少し持ち上がった。
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