麗しの彼を押し倒すとき。
放課後空けといて。
そう言った椿は6限目の授業が終わった頃、私を迎えに保健室へと戻ってきた。
その迷いのない足取りからして、まるで私が授業をサボったままここにいると分かっていたようで、
そんな私はと言うと、メロンパンを食べて幸せに浸ってたせいで、正直椿の言葉は半分くらい忘れてた。
左足だけローファーを履いたまま。
不格好な姿で背負われて、歩く度にゆったりと視界が揺れる。
「ごめんね、重いでしよ?」
不意に凪ちゃんに、「肉増えた?」と言われたことが頭に浮かんだ。
「凪ちゃんにも大きくなった、って言われちゃったし」
「まぁ、9年も経てば大きくなるだろ。それに肉付きいい方が柔らかくて健康的だ」
悪戯に微笑んで少し振り返った椿に、「それ、フォローになってないよ」と悪態をつく。
「嘘だよ、柚季はもっと肉付けた方がいい」
前に向き直った椿の背中は、去り始めた春のようにぽかぽかしてて、なんだか心地よく感じた。
「すぐ自転車出してくるから、ちょっとここ持って待ってろ」
そっと背中から降ろされると、身体から温もりが離れていく。
駐輪場の手すりに私を掴まらせると、言葉の通り椿は自転車を押してすぐに戻ってきた。
「じゃあ後ろ乗って」
「うん……でもどこ行くの?」
私の手を取り自転車の後ろへ誘導すると、椿は片手で器用にブレザーを脱ぐ。
「まだ俺からは言えない。だから落ちてまた怪我しないように、しっかり掴んでて」
「え!待ってどこ掴めばいいの!」
狼狽える私に冷静な手が重なり、ぐいっと前に引っ張られる。
勢い余って椿の背中に密着したと思ったら、自転車はもう走り出していた。