黄昏に香る音色
ジャズというものは、聴いたことがなかった。

いや…

音楽というものを、意識したことがなかった。


曲が終わり、女の歌手がステージを降りると…。

恵子の目線の先にいた細身のスーツを着た男が、にやりと笑った。

恵子とステージは、離れていたけど、

恵子には、その口元の変化がわかった。




男は、トランペットの先につけていたハーマン・ミュートを、外すと、

突然、

オープンで吹き出した。

トランペットの疾走が始まる。

一瞬だけ、すべての観客がちらりと、ステージを見たけど、

すぐに会話に戻る。

hard bop。

恵子には、それが分からなかった。

のちに…ワーキンという曲だと知ることになる。

バラード調でなくなった演奏に、

「うるさいなあ〜」

一緒に来ていた男が、ステージを睨んだ。

恵子は、自分のいるテーブルを見渡した。

(あ…)

恵子は、心の中で呟いた。

(感じないんだ…)

音に耳を傾けない人達。

確かに、無理に聴く必要はない。

だけど…。

恵子は、ステージに目を戻した。

これは真剣で、

まっすぐな心に、訴えかける音だ。

トランペットの疾走を、煽るように、

ドラムも疾走する。

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