あの日まではただの可愛い女《ひと》。
 七海と葵が安居酒屋で呑んでいるころ、桜は非常に居心地の悪い思いをしていた。
 一応昨夜、志岐と話したことをざっとかいつまんで話して聞かせたところである。
 ちょこんと、居心地のいいソファーの背に背中を預けることなく、背筋を伸ばして両手は膝の上だ。向かいにいるアキはニコニコ笑みを浮かべてるが非常に怖い。

「エト…」
「あんたさ、私あの人が体縛ってから説得するタイプって言ったの忘れてんの?」
「イエ…」

 そう聞いてたからこその、会議室でのお断りであった。

「や。会議室でちゃんと話したし、アキに聞いてたから、ちゃんと距離あけて話したよ?」
「バカなの? 会議室でコトに及ばないとか誰かが言ってたの?」
「コトって…。会社だしそんなことあるわけないじゃん」

 もう素直にアキは怒鳴りつけようかと思って、ぐっとこぶしを握った。
 バカヤロー。どんだけ日夜人事がそういう情報手に入れてると思ってんだと。エレベーター内で他の人たちに見つからないようにキスを交わしたり、いろいろオフィスラブには、あるんだぞ! しかも、桜は特にガーターストッキングだから剥かれ易いんだけどっと、この間抜けな同期に話してやったらどうなるんだろう。真っ赤になってそんなこと考えも付かなかったーって言うのが落ちですかね? どうなんですよ、鈴木桜32歳。
 というか、こいつの教育係にも物申してやりたい。お蚕ぐるみのように育てたからこんなアホで天然者が出来あがんだよ、と。何で適当な男が寄り付くような隙を作んなかったんだ。隆みたいな上等な男が傍にいたらただでさえ近づきにくいのによりにもよって、付き合ってる噂を放置した罪はでかいと、心の中で悪態を付いた。
 アキは隆《りゅう》の首根っこ引っつかんでおごらせることをこの時点で決めた。自分も桜をお蚕ぐるみに守っていたことは棚に上げてである。

「で。朝から粘着されてんでしょ?」
「粘着って言うか、たぶん同僚として仲良くってことだと思うんだよね」

 今朝セッティングした打ち合わせでは、坂野が思わず間に入ろうとしたくらいであった。
 向かい側に座るのではなく、説明しづらいからといわれて、会議机のL字にコーナーを使ってほぼ隣の至近距離である。坂野がその位置に座ろうとすると、上長判断するべきことがあるから、桜に座ってもらいたい。坂野君を別に軽く見てるわけじゃないのだが…とか言って丸め込んだ上でだ。

「あんた、本気でうまいこと逃げないと、まじで詰め寄られるよ?」

 アキはそう脅しでもなく言ってみるが、桜はきょとんとしていた。

「うーん。まぁ、たぶん志岐さんは私のことを保険程度に考えてるんじゃないかなぁ。隆さんの反応とかまだわかんないわけだしさ。私も隆さんにオフィスで対応するとき、なれなれしくしないようにしなくちゃなって思うし」

 誰か、この天然女を躾けてくれと、アキは頭を抱えた…が、もう10年もの付き合いなので一朝一夕には無理なこともわかってる。

「まーあと、流石に志岐さんも、隆さん今度こそ怒らしたくないと思うし。それに、前のときみたいな気迫って言うか、私のことどうにかしてやろうみたいな必死さ感じないんだよね~」

 あれ?少しは読んできてる? とアキは少しだけ思った。

「それあんたの意見?」
「いやまぁ、半々かなぁ~」

 あの夜、葵と話していてふと思いついたことだった。

「ふーん。で、その男とはどうなのよ?」
「あっ…!」

 しまった素直に答えすぎた! と桜が思ったときには遅かった。

「今日は根掘り葉掘り聞くからね!」

 アキがにんまりと笑ったのを見て、桜はどこまで聞かれて、どこまで隆に漏れるのかな?と不安になった。



 ある程度、葵の話を話すことになってしまい、すっかりお説教が落ちてくると悄然としていた。

「そういうわけで、たまにセックスしちゃうって言うか…」
「ふーん。しかし、あんたがお持ち帰りとか、セックスって言ってもなんか生々しくないわね~」

 本当にどうでもいいというか関係ない感想をアキに言われて、桜はどこから次は球が飛んでくるんだとちょっと不安になった。

「えっと…アキ、軽蔑するよね?」
「いや、別に大人だしそういう関係もあってもいいんじゃない?」
「え?」
「そりゃー私も、大人だからたまにあるよ? 誰か男の人と触れ合いたいって気持ち。それに今は近いんでしょ? それとも、桜はその人のこと好きなの?」
「す、き…?」
「好きでも、愛してる…でもなくても、いいと思うよ。気持ちがあったりするの?」

 どうだろう?
 頭の中のメモにそういえば葵との関係って何だろ?って考えるってメモしたことを思い出した。

「セフレとかだったら、私も怒ったと思うんだよね。そんな自分を大事にしないって何なの?って。大体、あんた恋愛初心者すぎるし。でも今の話聞いてると、相手は何らかの気持ちくれてるようにしか思えないよ?」
「そ、そう?」
「いやだって…。夜中に電話しても呑み屋かけつけてくれたり、あんたが来るかどうかわからないところで待ってくれてたり、泣いてるあんたのメイク落としてアイスノン当ててくれたりとか、あんたのこと考えてないと思いつくわけないと思うよ?」

 どうだろう? 単に優しいだけだと思っていた葵の一つ一つのしぐさや、やってくれたことを思い出す。でもひどいこともされたよね? ……ひどいことって、そもそもセックスするときにしかなかったことに気がついて、またうろたえる。

「でも、志岐さんのこと悩んでたときに、別に特に何も聞いてこないというか」
「いやだって、私も知ってるけど、あんた絶対志岐さんの話題になったら、顔が青くなってたでしょ。そんな状態の人間に興味本位で聞けないよ」

 え。そうなの?そういう理由で葵は志岐の話題を避けてたんだろうか?
 まぁ確かに、最初、志岐の件に触れたとき、ガタガタ震えたことを桜は思い出した。

「まぁ、あと自分の好きな女の過去の男の話とか、聞いても楽しくないでしょ」
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