あの日まではただの可愛い女《ひと》。
好きな女って…。冷汗が出る。そんなそぶりあったっけ? どうだっけ?
 世間一般的に、好きな女というレッテルを貼られたことのない桜としては、まったく持ってそんなことは予想がつかない。

「でも、でも、最初は絶対お互い気持ちなんてなかったよ?」
「否定したいならいいと思うんだよね。お互い慰めあうってことも世の中にはあるから。最初はうっかりって言うのはあるけど、その後の話聞く限りは、その人、すごい桜のこと想ってくれてんじゃない?って私は思ったけどなぁ」

 油断してたので『それに…』と、首に巻いてたスカーフを取られて、鎖骨についた噛み痕を指摘される。昨夜、体中にキスされる以外に何箇所か噛まれた。快感に追い立てられるように朦朧としていた桜は、朝起きて唖然とするしかなかった。

「こんなわかりやすい所有欲出してるしね」

 桜は赤くなるしかなかった。コーディネイトを握られてると、本当にごまかしが効かない。オタオタとしていると、さらにアキから爆弾が落ちた。
 それにあんた相当めんどくさい女だし、そんな女に手を出し続けるってちゃんと意味持ってると思うよ…と、アキは言ってミントジュレップを口に含んだ。

「めんど…くさい?」
「いやもう、めんどくさくないって言う証明のほうが難しいくらい、あんたは女として付き合うのはめんどくさいよ」

 電話連絡されなくても怒らないし、デートもお願いしたりしないし、おごってよとか、○○がほしいとかも言わないし…、そんな私のどこがめんどくさいのよと、桜は思わず言い連ねてみる。

「やっぱ桜はアホの子だね」

 そうしみじみ言ってから、アキは噴出した。

「あんたはね、手がかからないようで手がかかる女なの」
「そうかなー?」
「だって、連絡は自分からほとんどしないけど、夜中に気を失うほど酔っ払うし、恋愛フラグは見逃して手の内に落ちてこないし」
「そんなフラグ見えたことないし!」
「あのさー。今だからいうけど、新卒のときにチューターで隆《りゅう》さんが付いたときにも、あれ充分フラグ立ってたよ?」
「や、だって、隆さんには好きな人いたじゃん。それに、残業させられてただけだし。あれなんか軍隊みたいだったじゃない。そう同期の間でも有名だったでしょ?」
「好きな人がいようと、付き合ってなかったし、だっさい新卒の女を自分の手で改良して、そこそこのレベルの女に仕上げるって一体どんなマイフェアレディよ? それに、あんた気がついてなかったみたいだけど、本当は微妙に意地悪されてたのよ? 同期の一部女子に」
「ええええー。みんなよくしてくれたよ~。飴とかチョコとかよくもらったし!」
「……。まぁ、途中で隆さんが、その子達のチューターうまいこと使って釘刺したけど、そういうこと含めてフラグなわけよ」

 うを。そういうもんなのか。ああいうのとか、こういうのとかフラグなんだ?といまさらながら思ってしまう。

「たぶん、その彼の間にも恋愛フラグはいくつか立ってるはずだけど?」
「そうかなぁ。何度も言うけど、ぜんぜん立ってるところ見たことないし」

 葵が聞いたら盛大にため息を付いて文句というか、フラグポイントを連ね挙げられそうなことを桜はさっくりと言った。

「あのさー。たったこの数ヶ月の間に急に頻繁に会いだしたわけでしょ? あんたの負担にならないように、あんたが気にしないように連絡くれたり、したりしやすいような場をその人作ってたって思わない?」
「そ、そなのかなー?」

 そういえばなんか、いつも簡単な次の約束をくれたり、桜が連絡をしなくちゃいけない状況になってたりしてたことを思い起こす。しかもすべてが他愛ない。
 桜が観たがっていたC級ホラーが手に入ったとか、葵が各地で食べたおいしいものの話をしていて、素敵な朝ごはんが食べたくなった桜が逆に誘い出したり…。如何なものよと思うが、バッグに大人のおもちゃを忍び込まされて、怒り心頭で桜が会いにいったり……。
 そういうことがすべて、葵にしたら、すべて努力だったんだろうか…。
 言われてみれば、3年も歩いて10分程度のところに住んでいたのに、あの夜からの数ヶ月の逢瀬の頻繁さと来たら…。

「そういうのって、相手のことよく見てたり、話を聞いてたり、聞き出したりしないと難しいと思わない?」

 自分でちょっと考えてみて? そうアキは桜に言った。数瞬考えた桜だが、確かにそういうのってすごく相手に興味持ってても難しいことはわかった。だから余計にあわてるしかなかった。

「どうしよう」
「なにが?」
「私、まだ何の気持ちも整理してないし、何返せるかもわかんないのに」

 少し胸が熱くなってから落ち込んで、混乱してしまった桜にアキは微笑みかけた。

「私は、別に何も返さなくてもいいと思うけどね」
「え?」
「だって、彼は桜の気持ちが欲しいだけであって、何か返してもらいたいとか、志岐さんみたく追い込んで選択肢を突きつけたりしたい訳じゃないと思うよ」
「いやだって、仮に、そうだとしても私が、いつ気がつくかわかんないのに!?」
「気持ちだけあるっていう付き合い、いいじゃない。なかなかそんなのお目にかかったことないけど。フラグが立ったとか条件とか釣り合いとかなくて、お互いの気持ちがあるって気がつけば、つきあうってのでいいと思うよ、桜にはさ」

 うーん。と桜は考え込んでしまう。

「そもそもさ。フラグ立っても気がつかないっていうのは、桜に気持ちがないってことでしょ。その人の欲しいものは桜の気持ちなだけだから、気にしなくても良いって言うメッセージじゃない」

 でも私は気持ちがあるって言うのが怖い。誰かに執着するって言うこと自体が恐ろしい…。いつかそんな止められない感情が自分にやってきてしまうんだろうか?
 そう桜は考えていた。アキはその表情を単に考えたこともない課題を突きつけられて悩んでいるのかなという風に捕らえてしまったのだが。
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