あの日まではただの可愛い女《ひと》。
 ナナミの後ろには少しむくれたような友人…だとおもっていた女性が険しい顔をして立っていた。体には転送を封じる捕縛の呪文が描かれた紐がめぐらされている。これは盗賊職の人間しか使えない。つまり、彼女はナナミが捕らえたということだ。
 そのためにナナミがPVPエリアに呼び出したことに気がつく。そうでないとプレイヤーを捕縛することは不可能だからだ。

「ハ、ニービーさん?」

 今自分が目にしているものが信じられなくて、サクラは数回目をしばたたいた。

「サクラちゃん、ナナミさんがひどいの! 急にこんなところ呼び出したかと思ったら、捕縛かけられちゃって…」

 その様子を忌々しそうに見て、ナナミは舌打ちした。

「……。サクラさんの変な噂流したり、チャットに使う個人アドレスを流してたの、彼女だった…」

 すこし悔しそうに目を眇めてナナミが早口でサクラに言った。サクラは目を見開いて『えっ?』としか口に出せない。ナナミとハニービーを交互に眺めてしまう。なんだか頭が回らない気がした。でも、どっちを信じるかといわれたら、ずっと相談にのってくれて自主的に動いてくれたナナミだ。

「どうして?」

 やっとのことで、頭に浮んだ疑問の言葉を口に出す。
 『どうして、こんなことやったの?』
 『どうして、私の変な噂流したの?』
 『どうして、私のこと好きだっていってたの?』
 色々などうしてが、自分の中に渦巻いている。

「ひどいわ。証拠なんてないのに!」
「あるわよ。ドクやうちのギルドのメンバーが、イロイロ集めたんだから。それをもって運営に突き出そうか?」

 そうナナミが言った途端に、彼女はしばらく押し黙った。

「ナナちゃんが言ったこと、本当なの?」
「……。アンタ、何でも持っていくから汚いんだよ」

 そういきなり言われたときは横っ面を叩かれた気持ちになった。しかもそんな乱暴な言葉を彼女から言われたこともなかったから余計衝撃を感じた。

「大体さ、東京に住んでて、仕事もちゃんとあってさ、なんでMMOとかやるわけ? 他に狩場いっぱいあるじゃない」

 趣味と東京で働いてるのは関係ないだろう、と思うが狩場って何?って、いったらこの場合怒られるのかなぁと、少しどうでもいいことを考えてしまう。

「女使ってるからあんなに強いんでしょ? でないと、装備とかちゃんと揃えれたり、そんな簡単に戦闘なんか強くなるわけないじゃない」

 女使ってるかどうかはともかくとして、確かにゲーム暦1年にしてはサクラは結構いい装備を持っていた。それはギルドの仲間達がくれたり、たまたまボスを倒したときにランダムで出るアイテムがよかったりということだったが、それを貢物されて整えていると言われ、少し考え込んでしまった。

「あのさー、たとえそうだったとしても、それってなんかあんたに関係あるわけ?」

 それまで黙っていたナナミがきつい言葉でハニービーを問い詰めた。

「関係あるわよ! その女がいろんな男食い散らかして、あたしの好きな人にも手を出してきてるから、ちょー迷惑なんだけど」
「食い散らかした覚えは――ないし、一体どういう意味…?」

 大きな目に涙をためて、ハニービーが口を開く。なんというか、可憐だ。サクラはなんだか悪いことをしているのは自分の方なのかもという気持ちになってしまう。でも実際上、自分の個人アドレスには日夜、男の局部写真やらとんでもないものが送りつけられてきていて、その原因を作ったのは彼女っぽいのである。

「ディランに告白されたでしょ? あたしは彼と付き合ってるのよ」
「――は?」

 ディランというのはそこそこ有名なプレイヤーである。魔道士ではあり、大手ギルドの運営者の一人であった。確かに街で声かけられて『サクラ強いね、俺好きになっちゃいそう』とか『もっと強くなれるから俺のところこいよ』みたいなことを言われたことはあるが、サクラにとったら別のギルドに行く理由もなかったので流していた。彼が、ハニービーの想い人だったのか…ということに気がついた。
 彼女が町外れで夕日を見ながら語ってくれた内容と、ディランの言動とがうまくつながらなくて、サクラはより一層困惑した。

「あれは、単純にギルドへのお誘いでしかなかったと思うんだけど…」
「寂しい、助けてって言われたでしょ? それにあたしと付き合ってるんだから彼に触らないでよ!」
「いやまぁ、そんなつもりは全くなかったんだけど。気に障ったことしたんであったらゴメンナサイ。でも、ハニービーさん、リアルで結婚してるでしょ」

 訳がわからない。ゲーム内でも浮気って言うのかなぁこれ、とか、どっからどう突っ込んでいいのかすでにサクラにはわからなかった。

 だって、現実ではこの人、どこかの主婦でさ、自分はただの趣味でゲームやってるだけだし。そもそも触れ合えもしないのにゲーム中で付き合うって一層、訳がわからない……が、そういうのはよくある事実だ。そこはわかるが、なぜ私がとばっちりを受けているんだろう? サクラは心の底からそう思った。
 そういう表情が余計、ハニービーをさらに煽ってしまったんだろう。

「恋なんてそういうものでしょ! なによ。いつも自分は清廉潔白って言う顔してさ。サクラみたいに人の気持ちをわかろうとしない人にはわかんないわよ。いつも側にいてくれないだんなより、側にいてくれる人がいたら、その人に気持ちが言ってしまってもしょうがないじゃない。人を好きになったことがないから、そんな冷静に切り替えし出来るんでしょ? どうにもならない感情があること自体がわからないの?」

 人の気持ちがわからない…、そういわれて少し落ち込む。確かにサクラは今まで恋と言う物を経験してきてなかった。1年ほど前に淡い思いを抱いたかもしれない相手はいたが、その相手とは明確な感情を持つ前に散々な結果となっていた。
 ただ、こういういわれのない中傷と、現在自分が彼女によって、引き起こされているいわれのないトラブルを思い出して、言い返した。

「いや。だって、所詮リアルじゃないよね? ゲーム中の恋愛なのに、なんでそこまで…」
「リアルよ! あたしにとってはここが現実なの! アンタみたいに恵まれた女にはわかんないわよぅ! 家でずっと一人っきりで寂しい思いなんてしたことないでしょ?」

 寂しいって言うならパートなり仕事すればいいと思うし、習い事でもいいよねって何度かアドバイスしたことを思い出す。

 でも寂しいってなんだろう?

 サクラ自身、休日は一人でぼーっとしていることも多い。それを寂しいとは思っても耐えられないと思ったことがない。そういえばハニービーにそういうことを一度言ったら、とても可哀想な瞳でみられたことを思い出す。サクラちゃんが目覚める日が来ることを私応援して待ってる!とかいわれたっけかなぁ。恋愛てそこまで大事なものなの?ということをつらつらと考えながら彼女の言い分を聞く。

 ――が。
 自分に理解できない、かつ、一生理解しなくていいことを彼女が言ってるということしかサクラにはわからなかった。だからごく当たり前でつまんない優等生の答えしか自分には出来なかった。

「だからって人を傷つけていいとは私は思わないよ。ハニービーさんの気持ちもよくわかったよ。ただ、もう、お互い触れ合うのはやめよう? 私もつらいけど、ハニービーさん、とてもしんどそうだ」

 そうサクラは彼女に告げた。大きな目からぼろぼろと涙がこぼれたが、サクラは何も言わずに、ナナミに捕縛を解くように促した。

「ドクがあんたのIPアドレスやら、保存した証拠いっぱい持ってるからね。あんたがどこに住んでいてなんていう名前なのかも突き止めてあるから。今度何かやったら運営に報告するよ」

 ドクというのは同じギルドの男であるが、実際の職業は回線系の会社のエンジニアでもある。なので、今回の証拠や、ハニービー自体の個人情報も多少後ろ暗い手を使って押さえ込んでいた。
 ナナミはオンラインゲーマーにとってもっとも怖い運営のことを持ち出して戒める。彼女のようなプレイヤーにとっては、自分がゲームにアクセスできないことこそ最も恐怖だからだ。
 ハニービーは涙を流しながらにらみつけるように、サクラ達の前から消えた。

「ナナちゃん。私にはわからないよ。ゲームなのに、みんなで楽しく出来ないのかな」
「――ん。サクラさんの言いたいことはわかるよぅ。でも、結局キャラを動かしてるのは人間だからね」
「だからって人傷つけてもいいのかなぁ」

 たかがゲーム。どこかサクラはこの世界のことをそう思っている。でも自分の手元には、とてもトラウマになるようなメールが山ほど届いていた。その原因であるハニービーを許すことは出来ないし、それは中傷でしかない。それに恋ってなんだろう。寂しさを埋めるためのものなんだろうか? 自分にとって大事なものを守るためなら、誹謗中傷もものともせず、何をやってもいいものなんだろうか?

「んー。よくないけど、狂っちゃうのが人の気持ちでもありますからね」
「私はそういうのいやだな。自分のことをちゃんとコントロールして、自分らしく生きていきたい。ハニービーさんみたいになんか狂っちゃう日が来たらどうしよう…」

 そんな想いしたくない…、だったら恋とかしなくていい、そうサクラはつぶやいた。
 ナナミは少し物言いたげにサクラを見つめていたが、しばらくして手をつないで、ぶんと大きく振って『サクラさん、行こう』とだけ言った。





「姉ちゃん。朝だよ!」

 そう久々に実家に帰ってきた弟が、桜を呼びにきた。
 嗅ぎなれない洗剤の香がするスウェットを身につけた桜は背伸びをして起き上がる。

 ――ああ。久々にあの日の夢見ちゃったな。

 欠伸をしながら、白味噌の甘い香に鼻を引くつかせる。一年に1回か2回しかその匂いがかげないお雑煮の匂い。

 ――葵ともう2週間以上会ってないな。

 自分が決めたこととはいえ、寂しくて思わず、自分の両手で自分を抱きしめてしまった。
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