あの日まではただの可愛い女《ひと》。
『"一度だけ"なら、私はどうする?』
家に帰ってもテキストを開いて延々とその質問について考えた。志岐にはああいう風に言ったが、葵に対して告白するかどうかについては気持ちが定まってはいなかった。単純に自分の気持ちがどうしようもなく葵にあることを悟っただけだ。
葵に会うとしても『会えなくなるなんていやだ』としか、答えとして出てこない。
すでに自分が自分のエゴで、葵に接しようとしていることに気がついて桜は嗤った。
――もうすでに私は醜いことをしている。
でも葵が会わないって決めたら、きっとどうやっても会えないだろう。自分にはとても優しくしてくれているが、こうと決めたら引かないことは、オンラインゲームのときや、ここ数年飲み会などで話している彼を見ていて、桜はわかっていた。
二度と会えないのであれば、悔いなく気持ちを伝えるべきだろうか?
それともそのチャンスを最大限に利用して、今後も会えるような言質を取るべき?
たとえば、まだまだパーツ好きを逆手にとって『甘えさせてほしい』というか?
でもそんな、身体だけの関係に自分は満足できるかといわれたら、もうできない。大体言質を取るってこと自体が醜い気持ちの表れだ。そして、自分の気持ちを押し付けずに葵と付き合うことは不可能だ。
一度だけっていうのをチャンスと取るのか、終わりっていう風に取るのか? どうやれば今後も会えるんだろう?
そんな考えがつらつらと脳裏の中で行ったり来たりする。
「前に言ってくれてたよね?」
ふと、桜は声に出して言ってみる。あの最後の日に葵がくれた言葉を思い出す。
「迷惑かかっても許してくれる? あれは葵の本当の言葉なの?」
トーストに生クリーム、あんこにゆで卵が乗ったプレートが、ドン…と葵の前に置かれた。思わず目を丸くする。
「うーん。これが名古屋名物のモーニングセットですか…」
同じプレートを目の前にしている、葵の上司が苦笑する。
「名古屋に来たからにはこれが食べたくてねぇ。悪いな、藤間君」
「あ。イエイエ。トラブル処理前にがっつりこういうの食べて気持ち上げたいですよね」
そう言ってにっこりと笑った。
――葵は名古屋に来ていた。
本来は彼の仕事ではないのであるが、同じ部署の人間が引き起こしたトラブルの商談を何とかするために、急遽日帰り出張ということで、朝一に新幹線に上司と共に乗って、先ほどついたところだ。もともと先方は葵が以前担当していた会社だったので白羽の矢が当たった。
先方との約束の時間まで空いているので、その間に名物の朝食でも…といわれてやってきた。
「しょっぱいのと甘いのがあるから、量があっても結構食べやすいですね」
そうのんきな感想を言いつつ、『こういうの桜さん好きだろうな…』と、頭の片隅で思う。日帰りでも来やすいから、朝一に連れてきて朝ごはんに、きしめんとか、ひつまぶしやら食べに連れて行ってあげたら喜ぶかも。お土産はやっぱりあんかけパスタがいいかな?とか、つらつらと考えていた。
正直、正月の看病のときに、桜に『会いたかったの』と一言言われただけで、気持ちがかなり落ち着いていた。好きという自覚はないのかもしれないが、気持ちをくれてる感触を得られたからだ。桜の忙しいのが、少し収まったらどうやって誘い出そうかなど色々考えてた。
「藤間君は、最近少し肩の力が抜けてきたね」
ん。と、片眉を上げて上司を見る。ちまっとした人の良いおじさんに一見見えるが、大型の商談をまとめあげる手腕ときたら、右に並ぶものがないといわれる切れ者である。
「そうですか?」
「うん。なんだか、いろんな人に対しても優しくなったよ」
「そうですか?」
あまり意識したことなかったし、声を荒げたりしたこととかないけどなぁと、葵は少しだけ眉をひそめた。
「まぁ君は当たりはいいけど、最後のところが、なんとなく厳しいところがあったからね」
そんなつもりはなかったが、確かに少し突き放したところがあるとは人事面談のときによく言われていた。笑顔でやんわりと人をどこか踏み込ませない雰囲気が、部下をつけたときに厳しくうつるのかもしれなかった。
「付き合ってる女性がきっとおっとりしてるんだろうねぇ」
「イエイエ。付き合ってるまでいってませんから」
「それは君にしては意外と攻めあぐねている感じだね」
あはは…とか笑われて、流石の葵も引きつった。
「俺にそんな突っ込みできるの部長くらいですよ」
「あーまぁ。君の上司、伊達に何年もやってないからね」
「デスヨネ」
「この商談うまくまとまれば、出張減らしてあげれるポジションに上げてあげるから、がんばんなさい」
『をを。』とか、思わず葵はつぶやいてしまった。出張は好きだが、桜の予定にあわせるには出来れば国内にいる割合を増やしておきたかった。海外に1ヶ月とか平気で入社1、2年目とかは飛ばされていたことを考えると今でも大分楽なはずなのだが。
商談が終わって、そのまま、会議室を借りて、先方の現場との個別の打ち合わせやら、発注指示などを部長と共に手分けして行った。結構時間がかかったのは倉庫の在庫を調べたりと、待ち時間がかなり発生したのと、システム上の都合が大きかった。無事に打ち合わせと作業を終えた頃には夕方になっており、一泊してもいいよとは言われた。それを断ったら、部長に、『じゃー、ここで別行動にしよう、お土産とか見たいんだろ?』といわれて素直に言葉に甘えて、色々なものを物色していた。
会社への土産はすぐに決まったが、桜への土産をどうしようかとうろうろしてしまう。
――やっぱ。桜さんだから食い気が一番デスヨネ。
あんかけパスタ、きしめん、ういろう、ひつまぶし、味噌おでん?
桜が喜びそうなことを考えることに夢中になっていて、ふっと携帯を見たら17時をさしていた。ついでにメールが結構入っているのに気がついた。
――今日結構ばたばたしてたから、メールチェックしてなかったなぁ。
葵はお土産を買い込んでから、チェックし始めて、数分後には大慌てで新幹線のホームへと走りこんだ。
家に帰ってもテキストを開いて延々とその質問について考えた。志岐にはああいう風に言ったが、葵に対して告白するかどうかについては気持ちが定まってはいなかった。単純に自分の気持ちがどうしようもなく葵にあることを悟っただけだ。
葵に会うとしても『会えなくなるなんていやだ』としか、答えとして出てこない。
すでに自分が自分のエゴで、葵に接しようとしていることに気がついて桜は嗤った。
――もうすでに私は醜いことをしている。
でも葵が会わないって決めたら、きっとどうやっても会えないだろう。自分にはとても優しくしてくれているが、こうと決めたら引かないことは、オンラインゲームのときや、ここ数年飲み会などで話している彼を見ていて、桜はわかっていた。
二度と会えないのであれば、悔いなく気持ちを伝えるべきだろうか?
それともそのチャンスを最大限に利用して、今後も会えるような言質を取るべき?
たとえば、まだまだパーツ好きを逆手にとって『甘えさせてほしい』というか?
でもそんな、身体だけの関係に自分は満足できるかといわれたら、もうできない。大体言質を取るってこと自体が醜い気持ちの表れだ。そして、自分の気持ちを押し付けずに葵と付き合うことは不可能だ。
一度だけっていうのをチャンスと取るのか、終わりっていう風に取るのか? どうやれば今後も会えるんだろう?
そんな考えがつらつらと脳裏の中で行ったり来たりする。
「前に言ってくれてたよね?」
ふと、桜は声に出して言ってみる。あの最後の日に葵がくれた言葉を思い出す。
「迷惑かかっても許してくれる? あれは葵の本当の言葉なの?」
トーストに生クリーム、あんこにゆで卵が乗ったプレートが、ドン…と葵の前に置かれた。思わず目を丸くする。
「うーん。これが名古屋名物のモーニングセットですか…」
同じプレートを目の前にしている、葵の上司が苦笑する。
「名古屋に来たからにはこれが食べたくてねぇ。悪いな、藤間君」
「あ。イエイエ。トラブル処理前にがっつりこういうの食べて気持ち上げたいですよね」
そう言ってにっこりと笑った。
――葵は名古屋に来ていた。
本来は彼の仕事ではないのであるが、同じ部署の人間が引き起こしたトラブルの商談を何とかするために、急遽日帰り出張ということで、朝一に新幹線に上司と共に乗って、先ほどついたところだ。もともと先方は葵が以前担当していた会社だったので白羽の矢が当たった。
先方との約束の時間まで空いているので、その間に名物の朝食でも…といわれてやってきた。
「しょっぱいのと甘いのがあるから、量があっても結構食べやすいですね」
そうのんきな感想を言いつつ、『こういうの桜さん好きだろうな…』と、頭の片隅で思う。日帰りでも来やすいから、朝一に連れてきて朝ごはんに、きしめんとか、ひつまぶしやら食べに連れて行ってあげたら喜ぶかも。お土産はやっぱりあんかけパスタがいいかな?とか、つらつらと考えていた。
正直、正月の看病のときに、桜に『会いたかったの』と一言言われただけで、気持ちがかなり落ち着いていた。好きという自覚はないのかもしれないが、気持ちをくれてる感触を得られたからだ。桜の忙しいのが、少し収まったらどうやって誘い出そうかなど色々考えてた。
「藤間君は、最近少し肩の力が抜けてきたね」
ん。と、片眉を上げて上司を見る。ちまっとした人の良いおじさんに一見見えるが、大型の商談をまとめあげる手腕ときたら、右に並ぶものがないといわれる切れ者である。
「そうですか?」
「うん。なんだか、いろんな人に対しても優しくなったよ」
「そうですか?」
あまり意識したことなかったし、声を荒げたりしたこととかないけどなぁと、葵は少しだけ眉をひそめた。
「まぁ君は当たりはいいけど、最後のところが、なんとなく厳しいところがあったからね」
そんなつもりはなかったが、確かに少し突き放したところがあるとは人事面談のときによく言われていた。笑顔でやんわりと人をどこか踏み込ませない雰囲気が、部下をつけたときに厳しくうつるのかもしれなかった。
「付き合ってる女性がきっとおっとりしてるんだろうねぇ」
「イエイエ。付き合ってるまでいってませんから」
「それは君にしては意外と攻めあぐねている感じだね」
あはは…とか笑われて、流石の葵も引きつった。
「俺にそんな突っ込みできるの部長くらいですよ」
「あーまぁ。君の上司、伊達に何年もやってないからね」
「デスヨネ」
「この商談うまくまとまれば、出張減らしてあげれるポジションに上げてあげるから、がんばんなさい」
『をを。』とか、思わず葵はつぶやいてしまった。出張は好きだが、桜の予定にあわせるには出来れば国内にいる割合を増やしておきたかった。海外に1ヶ月とか平気で入社1、2年目とかは飛ばされていたことを考えると今でも大分楽なはずなのだが。
商談が終わって、そのまま、会議室を借りて、先方の現場との個別の打ち合わせやら、発注指示などを部長と共に手分けして行った。結構時間がかかったのは倉庫の在庫を調べたりと、待ち時間がかなり発生したのと、システム上の都合が大きかった。無事に打ち合わせと作業を終えた頃には夕方になっており、一泊してもいいよとは言われた。それを断ったら、部長に、『じゃー、ここで別行動にしよう、お土産とか見たいんだろ?』といわれて素直に言葉に甘えて、色々なものを物色していた。
会社への土産はすぐに決まったが、桜への土産をどうしようかとうろうろしてしまう。
――やっぱ。桜さんだから食い気が一番デスヨネ。
あんかけパスタ、きしめん、ういろう、ひつまぶし、味噌おでん?
桜が喜びそうなことを考えることに夢中になっていて、ふっと携帯を見たら17時をさしていた。ついでにメールが結構入っているのに気がついた。
――今日結構ばたばたしてたから、メールチェックしてなかったなぁ。
葵はお土産を買い込んでから、チェックし始めて、数分後には大慌てで新幹線のホームへと走りこんだ。