花蜜のまにまに
 『なんかふわふわしてるじゃん。可愛い。藤崎に似合ってるよ』
 そんな風に言って。

 今思えば陳腐な口説き言葉だったのかもしれない。幸祐は無意識的に、そうやって女の子が喜ぶ様な言葉を自然に発するのが上手いから。

 それでも、大学に入学したばっかりの頃、まだ肩にかかる程度の長さの髪に、縮毛矯正を当てたいと思っていたひかりにはその言葉は凄くうれしく響いたのだ。その頃は髪の毛を、ヘアアイロンで毎朝必死に伸ばしていたのだけれど、それも夜になると崩れてきてしまって、苺一会の新歓に出る頃にはまた何時もの様にあちこちに髪が跳ねてしまっていたのだ。

 困るんだよね、ストパー当てようかと思ってるんだけど、お金凄くかかるじゃない?
 そう愚痴っていたひかりに、たまたま隣に座っていた幸祐のさりげない一言は強く響いた。よく考えてみたら、たまたま幸祐の隣に座れていたなんて、結構凄い事だ。幸祐は入学当初からそのルックスで女の子の取り巻きを作っていたし、その時も部長に恩があるからといって他のサークルに目移りなんて一切する事なく苺一会に入会した時には、やっぱりぞろぞろと女の子を引き連れてきていたのに。

 幸祐がひかりに話しかけてきた時にはもう宴もたけなわという感じで、一足先に帰ってしまう女の子も多かったし、色んな人が席を離れて、思い思いにぐだぐだと喋っている頃だったけれど。

 学校から十分くらい歩いた所にある、座敷のある居酒屋だった。そこは『地域振興サークル』苺一会だ。勿論、地元民の店主が奥さんと切り盛りしている、チェーン店なんかじゃない店。それまで、飲み屋なんか勿論入った事も無かったけれど、ファミレスばかり行っていたひかりには、その不思議な空気の店は余りにも新鮮だった。
 見たこともないアラブ人俳優のポスターがびっしりと不規則に張り巡らされていて、店内のBGMも聞いた事もないメロディーラインで、聞いた事もない言語の音楽が流されている。厨房近くの天井からは、本物か偽物かわからないけれど、漫画に出てくる様な大きな肉燻製の固まりが吊るされていた。あまりにも『不思議』という感じだった。その居酒屋『無国籍料理駱駝屋』は。

『変に短く切るから癖っ毛って気になるんだよ。伸ばせばいい。』

 そう言った幸祐は無造作にあちこちに跳ねているひかりの髪の毛をそっとつまんで撫でた。

『何するんですか、』
 大声を出さなかったのは、幸祐の仕草が余りにも自然だったからだ。当たり前の様に女の子の髪に触れるなんて、18歳の男の子にそんなに簡単に出来る事じゃない。警戒心の薄い女の子だったら、もっと簡単にあっさりと受け入れていただろう。ひかりも驚きはしたけれど、幸祐にそうやって触れられるのは嫌な気はしなかった。

『いや、髪の感じ確かめてただけ』
『……慣れてるんですね』

 女の子の扱いに。
 言った後で、少し嫌味が過ぎたかなんて不安になったりもしたのだけれど、幸祐は一切気にした様子が無かった。

『すごいな、髪、超やわらかい。それに、ふわっと伸ばしてた方がいいよ。えっと…』
『藤崎です。藤崎ひかり。』
 幸祐がひかりの名前が判らず、言葉に詰まった様子だったので慌てて名前を言った。そういえば、その時二人は自己紹介すらしていなかったのだ。
『そうそう、藤崎。藤崎は全体的にちっちゃいしさ、だから髪にボリュームあった方がいいと思う』
『…はあ』

 初対面の男にそんな風に言われるとは思わなくて、ひかりは当惑気味に自分の髪に触れ直した。

『なんか藤崎自身もだけどさ。髪も。ふわふわしてるじゃん、可愛い。藤崎に良く似合ってるよ』

 幸祐は最初からマイペースだった。
 ひかりの困惑等お構いなしで、そう言ってくしゃっと笑ったのだ。整っているけれど何処か人を突き放す様にも見える、冷たく玲瓏な顔を、子供の様に歪めて。
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